主に昭和から平成にかけて画家として活躍しました。
日本で洋画を学んだ後
文化の先駆けともいえるフランスへ渡り新たな刺激を得
帰国後はモダンアート協会の創立者となっています。
村井正誠の抽象画作品は輪郭が単純化され
平面的でありながらも
しっかりと彩られた画面が特徴的で
独特の雰囲気が感じられます。
ここではその村井正誠の生涯をご紹介します。
村井正誠は明治38年に岐阜県で生まれ
医師であった父の転勤に伴い
和歌山県で育っています。
やがて上京して医学校と美術学校を受験するも
両方不合格となってしまい
川端画学校に通ったのち
文化学院大学部の
美術科第一期生として入学しました。
学生時代には二科展への出品
そして後に、共にモダンアート協会の会員となった
矢橋六郎や山口薫と親交を深めます。
文化学院大学部を23歳で卒業すると
村井はそのままフランスへ渡り
アンデパンダン展に2回出品しました。
このフランス滞在中に抽象絵画に出会い
大きな刺激を受けた村井は
それまで敬慕していた
ルノワールからは時代が進んでいること
そしてイタリアや南仏への旅行で触れた
エトルスクやビザンチンの原始美術に強い興味を持ち
自身の作品にその風潮を活かしていくようになります。
昭和7年に帰国した後は、自身初めての個展や
矢橋六郎、山口薫らと共に
自由美術家協会を創始するなど
フランス滞在中に得た新たな美術潮流を
日本で広めていきました。
その後は文化学院大学の講師や
モダンアート協会の結成
武蔵野美術学校の西洋画講師から
名誉教授などを務めます。
また、その間にも自身の作品の制作活動を進め
現代日本美術展での最優秀賞や
東京国際版画ビエンナーレの
文部大臣賞を受賞しました。
平成11年に亡くなった村井正誠ですが
平成に入ってからも世田谷区文化功労者や中村彝賞
中日文化賞を受賞し、日本の近代絵画の中でも
抽象画を制作した先駆者として
高い評価を得ています。