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掛け軸・絵画
2018/08/02

青山義雄【画家】

主に1900年代に画家として活躍しました。

 

幼い頃から文学や絵に強い興味を持ち、

 

両親の反対を押し切り画家となりました。

 

若くしてフランスへ旅立ち絵画を学び

 

優しく鮮やかな色使いで描かれた油彩や水彩の作品は

 

現在でも国内外問わず人気があります。

 

 

ここではその青山義雄の生涯について、ご紹介します。

 

 

青山義雄(あおやまよしお)

 

青山義雄は明治27年に神奈川で生まれました。

 

幼少期は海軍に勤めた父の転勤に伴い

 

三重県や北海道で暮らしますが

 

幼い頃から好んでいた絵を学ぶ為に

 

14歳で学校を退学し画家を目指し始めます。

 

16歳の時には上京して画家の大下藤次郎や

 

永地秀太に師事しました。

 

のちに父の破産の報告を受け帰郷しましたが

 

肖像画を描くなど様々な仕事で溜めた資金で

 

27歳でフランスへ向かいます。

 

 

1920年代前半はパリで過ごし、デッサンを学びながら

 

日本人会の書記を務めるなどして生活しました。

 

フランスで生活を始めた年の秋にはサロン・ドトンヌ

 

という展覧会に自身の作品を2点出品しましたが

 

当時パリには日本人も含め

 

約500人もの画学生がいたといわれる中

 

青山義雄はいきなり入選を果たしたのです。

 

その翌年に出品した作品も入選し

 

青山義雄の名は広まっていきました。

 

その後、画家として創作活動を続ける中で体調を崩し

 

青山は31才で南フランスのカーニュに移住します。

 

南仏の豊かな自然は

 

青山の作品に大きな影響を与えており

 

鮮やかな色使いで描かれた青山の作品が

 

アンリ・マティスの目にとまると

 

『この男は色彩を持っている』と称賛された

 

といわれています。

 

これを機に青山はマティスと交流を深め

 

作品への助言を受けるなどし

 

自身の画法を磨いていきました。

 

やがて35歳の頃からは

 

毎年パリで個展を開くまでとなります。

 

 

41歳の頃には青山は

 

日本に一時帰国をしています。

 

フランスでの精工舎とされ国画会会員にもなりますが

 

再び南フランスへ戻ろうとした時には

 

第二次世界大戦の開戦によりそれが叶わず

 

不景気で作品もなかなか売れない中

 

17年間日本に滞在しました。

 

マティスの助力を得て58歳にして

 

南フランスに帰りましたが

 

数年後にマティスが亡くなってからは

 

スペインやイタリアなども巡り

 

自身の画風を突き詰めていきます。

 

やがて90歳を超えるまで青山は

 

フランスで創作活動を続け

 

昭和61年、日本に帰国しました。

 

 

帰国後も102歳で亡くなるまで

 

南フランスを中心とするヨーロッパで得た

 

明るく鮮やかな画風で

 

作品の制作を続けています。

 

 

 

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