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2018.12.20
骨董品

新海竹太郎【帝室技芸員/彫刻】

新海竹太郎(しんかいたけたろう)

 

新海竹太郎は明治元年となる1868年、

 

山形市にて生まれました。

 

父は仏師の新海宗松ですが

 

少年期は日本画について学び、

 

1886年に軍隊に入った際、

 

そこで馬の彫刻を見た事がきっかけで

 

木彫り制作を始めます。

 

そして上官である北白川宮に薦められた事もあり

 

除隊後には皇居前広場の楠木正成像の馬像で知られている

 

後藤貞行からは木彫を。

 

小倉惣次郎からは塑像を。

 

国沢新九郎の画塾、彰技堂への入門経験がある

 

浅井忠からはデッサンを学びます。

 

そして1917年には帝室技芸員となり

 

1927年に息を引き取ります。

 

代表作としては、ゆあみや

 

大山元帥騎馬像に青山胤通像。

 

公爵伊藤博文胸像などがあります。

 

 

 

作風と作品

 

新海竹太郎の作品の特徴としては、

 

1900年にドイツのベルリン美術学校へ赴き、

 

主任教授であるエルンスト・ヘルテルの元で

 

一年半以上学び習得した学術的な技法が挙げられます。

 

またその作風は19世紀末に主にフランスから始まった

 

「新しい美術」と言う意味のある

 

アール・ヌーヴォーの様式が

 

混在した所にあると言われています。

 

この特徴が現れている

 

代表的な作品と言われているのが、

 

1907年に開設された文部省美術展覧会において出品した

 

ゆあみです。

 

湯浴みをする日本人女性を、

 

その2つの形式が融合したテイストで描いた事は

 

話題となりました。

 

そして晩年に差し掛かると

 

人物を静かに描写した作品も目立つようになり、

 

それらの作品としては伊藤博文公爵の胸像や、

 

また1922年に制作した

 

森鴎外のデスマスクなどもあります。

 

 

 

技法

 

■木彫

 

木材に立体物を施したものです。

 

丸彫や浮彫など様々な技法がありますが、

 

新海竹太郎の場合は1924年の

 

11回日本美術院に出した

 

木彫の姉妹が有名です。

 

■塑造

 

インドや中国などアジア地域で広まり、

 

日本では奈良時代にピークを迎えている

 

粘土で作った作品です。

 

塑造の場合は焼かずに自然乾燥させるのも、

 

大きな特徴の一つです。

 

 

 

確固たる技術により実現した2つのアプローチ

 

ゆあみなど学術的な技法と

 

アール・ヌーヴォーの様式が混在した作品は、

 

モデルとなった人物の内面性が伺える

 

と言われています。

 

また反対に伊藤博文公爵の胸像や

 

森鴎外のデスマスクなど、

 

華やかさとは対象的に静かに描写している作品もみられ

 

新海竹太郎は人物の内面を

 

2つの異なるアプローチで描いているといえます。

 

そしてこれらが時には海外に渡るなど、

 

国内外で多くの人物から技術を学んできた事により

 

作品自体も国内外の人気を得ています。