斎藤素巌(さいとうそがん)
斎藤素巌(本名:知雄)は
1889年10月に東京府東京市で生まれました。
中学時代から芸術に興味を持っていた斎藤素巌は
18歳の時に東京美術学校西洋画科予備科に
進学しています。
そして1912年に同校を卒業すると
翌年にイギリスへ渡りました。
現地では、当時絵画について
興味を失っていたことをきっかけに
ロイヤル・アカデミー内で彫塑技術を学び、
1916年に帰国します。
翌年、第11回文部省美術展覧会において出品した
『秋』で初入選となり、さらに翌年の『敗残』では
特選を獲得するなど、文展及び帝展において
活躍を見せました。
1926年には『椅子に凭る女』や、日本サッカー協会の
シンボルマークの八咫烏で知られている、
日名子実三と共に構造社を立ち上げます。
なおその4年後には構造社を解散させています。
1949年に日展運営会理事となり、
1956年に第12回日本美術展覧会において『七十近し』
を出品するなど、日展の場でも活躍を見せます。
1974年2月に息を引き取ります。
■彫塑について
定義が事細かに分かれていますが、
基本的には彫刻の元となるものを
粘土や石膏などで作ることを指します。
作風
斎藤素巌の作品は強固な造形力と
事細かな技術があると言われています。
ロマン溢れるレリーフ作品や
1931年の第六回明治神宮体育大会用など
メダルの作品群が多いのも特長です。
また斎藤素巌が立ち上げた構造社は
彫刻と建築の融和を目的としており、
彫刻界に多大な影響を与えたと言われています。
活動終盤には社会批判を込めた作品も発表している他
二・二六事件が起こった場所でもある
高橋是清翁記念公園内に設置している、
首相や蔵相として活躍した高橋是清を描いた
『高橋是清翁像』。
現在、兵庫県湊川公園に設置している
南北朝時代に活躍した武将である楠木正成を描いた
『大楠公像』など、歴史上の人物の
立体像も手がけています。
様々なアプローチで作品を造ってきた斎藤素巌
斎藤素巌が1943年に移り住んだ小平市は
活動終盤まで自身の創作拠点となりました。
現在、小平市では斎藤素巌の作品が
小平グリーンロード内にて野外設置されています。
そこではカバや熊をモチーフにした
ほのぼのとする作品群も見られ、
ある種活動終盤に社会批判を込めたとは思えなくらい
優しい眼差しが感じられます。
歴史の人物像や社会風刺や動物など、
様々なアプローチで作品を造ってきたと言えます。
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