日本画家の川合玉堂は1873年、愛知県で
筆墨紙商を営む家に生まれました。
10代前半の頃から絵を好み
京都の望月玉泉の門下に入り絵を学び始め、後に
円山・四条派の幸野楳嶺の門下でも学んでいます。
17歳になると第3回内国勧業博覧会に出品した
「春渓群猿図」、「秋渓群鹿図」が入選を果たし、
その約5年後には上京し、橋本雅邦に師事しました。
やがて25歳のときには岡倉天心、橋本雅邦、
横山大観らが創設した日本美術院に参加し
27歳の頃から「長流画塾」という私塾を組織します。
1907年には第1回文部省美術展覧会の審査員に選ばれ
42歳のときに東京美術学校の
日本画家教授に就任しました。
これらの功績が認められ、1917年、44歳で
帝室技芸員に任命されています。
そのほかフランス政府からレジオンドヌール勲章を
ドイツ政府からは
赤十字第一等名誉章を贈られています。
また、1940年には文化勲章も受章しました。
川合玉堂は、当初は京都の幸野楳嶺などに
学んでいましたが、上京すると橋本雅邦に師事して
狩野派を学びました。
このことから川合玉堂の作品は、
四条派と狩野派の融合した穏やかな作風を
特徴としています。
日本の自然やその中で素朴に暮らす人々の生活を
情緒豊かに描きました。
第7回文展に出品し好評を得た「夕月夜」では
水郷の水辺に木橋と家路を急ぐ
漁夫と子どもが淡く光り
月光に優しく照らされている様を描いています。
自然と共に暮らす漁夫の家族が
牧歌的に描かれています。
1942年に描かれた「春雨」は、春雨に包まれた
筧と水車と農婦の奥に浮かぶ山桜が、
鮮やかにしっとりと描かれています。
自然中に息づく生活感と
春雨に洗われた山の空気が感じられる作品です。
どちらの作品も川合玉堂の
温和な性情が表れている作品と言えます。
川合玉堂は、近代日本画史上に
川合玉堂独自の画風を確立した
偉大な画家と評価されています。
四条派と狩野派を学んで品格高く調和させた
温和な風景描写を確立しました。
時代に翻弄されることなく
ひたすらその自然美とそこに生活する人々を描き
その視点は優しく
日本人としての慰藉も感じられる作家です。