小茂田青樹は1891年10月に埼玉県川越市で生まれました。なお本名は茂吉と言います。
実家は呉服商の相模屋を営んでいて、父は小島徳右衛門と言う名前でしたが、小茂田青樹は5歳の時に叔父の養子になった事で、姓が小島ではなく小茂田になりました。1908年頃には画家の松本楓湖が開く安雅堂画塾に入り塾生となり、そこでは生涯をかけて競い合う速水御舟とも出会います。
その後1913年の第13回巽画会の場に『野趣四題』を出品し3等賞を獲得したのは、小茂田青樹の初期の代表作ともなりましたし、それに次の年では今村紫紅が象徴的人物となる赤曜会に加わり、その時から『青樹』の名を使うようになりました。1916年の第3回院展には『金沢八景』を出品し、八景のうち『小泉夜雨』が初入選。1921年には第8回再興院展で出した『出雲江角港』が、横山大観に高く評価されたことがきっかけで日本美術院の同人となったり、1929年には杉立社を立ち上げて、後進の指導に務めると言ったような活躍を見せます。
また1930年には帝国美術学校でも後輩の指導を行うのですが、残念ながら1933年8月、43歳の若さで息を引き取りました。
小茂田青樹の作品は、観察力の高さがありながら微細に情感を描いている所にあると言われています。また日常感もあると言われていますし、静物も得意としていますが花鳥画での世界観は多くの人に歓迎されました。
また、1918年の第5回院展においては『菜園』が入選になったのですが、翌年には同展で落選してそこから埼玉県狭山に住居を構え、武蔵野の風景をベースにした深みのある作品群を展開していきます。
花鳥画では東洋画の系譜と、西洋画で主流になっていた印象派の技法が組み合わさった所が評価されています。また1922年発表の『ポンポンダリア』(横浜美術館に所蔵)は丸いポンポンダリアの特徴を上手く描いていると言われていますし、シンプルな構図ながら豊かな情感が分かりやすく表現されているように感じられます。
次に1930年に発表の『春の夜』(東京国立近代美術館に所蔵)では、得意の写実性に加えて日本画的華やかさの作風が際立っていると言われていて、紅梅の木の下で猫がネズミを口に加えながら歩いていると言う内容になっています。こちらの『春の夜』では室町時代の『鼠草子』や、1760年代終盤の鈴木春信による『夜の梅』を意識しているようです。
そして1931年発表の『虫魚画巻』(埼玉県立近代美術館に所蔵)も代表作としてよく取り上げられているのですが、こちらは活動終盤時期の作品であり、アザミの花で網を張っている女郎蜘蛛を、画面下の白いドクダミの花が引き立てる表現が評判を獲得しています。
■赤曜会
大正初めに結成されました。またメンバーには速水御舟もいます。中心人物の今村紫紅は豪快な性格で目黒夕日ヶ丘にて野外展を開くと言った活動をしますが、1916年に今村紫紅は息を引き取りました。
しかし赤曜会所属は目黒派と言う呼び名で知れ渡るようになっていきます。
■速水御舟
1894年8月に生まれた画家です。速水御舟も小茂田青樹と同じ様に写実性の高さが注目されていますが、『昆虫二題』と言う電灯の明かりに集まる蛾の作品を発表しました。
小茂田青樹が昆虫を題材にしたのは滅多にないことで、『昆虫二題』と『虫魚画巻』は作風が似通っていると指摘されています。
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