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2020.11.05
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小村雪岱とは【功績/版画/作品/日本画家】

小村雪岱の生い立ちは?

小村雪岱(こむらせったい)18873月に埼玉県川越で生まれました。なお本名は泰輔と言います。幼少期に両親を亡くしたことから親戚に育てられますが、15歳の頃に東京に住む書家の下で学僕となり、翌年より画家を志すようになったと言われています。小村雪岱は日本画家の荒木寛畝のもとで指導を受けたのち、1904年に東京美術学校時日本画科選科に進学。在学中は下村観山から教わっており、卒業後も松岡映丘の下で腕を磨きました。また同時に、国華社に参加すると、古画模写に関わることで古くからの絵画の系譜についての知識を深めていき、東京美術学校から『平家納経』や『北野天神縁起』の模写(一部)を依頼されています。

また同時期に、下宿先でもあった書家の安並賢輔の養子ともなりました。

 

以降しばらくは泉鏡花や里見弴といった小説家たちの作品の装幀を手掛けますが、30代になった頃からは、資生堂で広告に携わるようになりました。当初、同社は化粧品の取り扱いに方向を転換してすぐの時期だったということもあり、中村正直は意匠部にて、ロゴやパッケージのデザインに打ち込んでいきます。その後1910年には國華社での務めを退き、30代半ば頃に資生堂を退社。1924年からは舞台美術なども手がけるようになったほか、46歳の頃には邦枝完二の新聞小説「おせん」の挿絵を手掛けた、挿絵家としての地位も築きました。

後年は国画院の立ち上げの際に同人となったり、展覧会を開催するなどして活躍。そして194010月、54歳で息を引き取っています。

 

 

 

小村雪岱の作品の特徴は?

小村雪岱の作品は前述の通り、挿絵家としての評判も呼んでいます。洗礼された線描と、余白が感じられる黒と白の簡易的な作風に特徴があると言われています。

また挿絵で感じられる時代考証も評判で、細やかなタッチで女性を描く所にも、支持が集まる要因となりました。

なおその作風は多色摺りによる浮世絵版画の錦絵を、当時としては現代的に昇華させていると言った指摘もなされています。

 

 

 

小村雪岱の他の評価部分は?

他にも小村雪岱は歌舞伎座の『春日局』や東京劇場の『一本刀土俵入』など、舞台美術や映画装置にも優れており、ここでも挿絵と同じく、時代考証能力が発揮されました。

またデザインや告知方法について資生堂は考えを重視しており、商品購入の催促物や商品デザインにも重点を置いていたので、小村雪岱と相性が良かったと考えられます。

そして小村雪岱は資生堂書体の礎を担っているとも言われていたりします。

 

代表作など

 

国華社時代に手掛けた下絵と考えられている『普賢延命菩薩』。

里見弴による1922年の新聞連載小説『多情仏心』の挿絵。

1934年の邦枝完二の『お伝地獄』の挿絵などがあります。

 

 

 

各ワード紹介

■下村観山

1873年生まれの日本画家です。菱田春草や岡倉天心などと共に日本美術院を立ち上げています。

画家としては古典的な作風で手掛け、日本美術院展覧会でも活躍し帝室技芸員ともなっています。

 

■泉鏡花

1873年生まれの小説家で幻想文学とも称される、ロマン性の高い細やかな作風に特徴があります。

『照葉(てりは)狂言』や『夜行巡査』など、300篇以上の数多くの作品を手掛けました。