刀工家の宮本包則は、1830年に
鳥取県倉吉市の醸造家に生まれました。
22歳の時に備前国長船(岡山県)の刀工
「友成五十八世孫」と称する横山裕包に入門し
7年間学んでいます。
そこで日本刀の伝法である「五箇伝」の流派の一つの
「備前伝」を習得すると
師の横山裕包より「包」の字を得て
包則(かねのり)を名乗るようになりました。
27歳のときには鳥取藩に帰り
家老伯耆国倉吉領主荒尾直就の
抱工となっています。
約5年後には京都の三条堀川で鍛治場を設け
諸藩士のための刀を鍛造しました。
詫間樊六(たくまはんろく)の三尺刀や
「因幡二十士」の佩刀などが有名です。
1866年には孝明天皇の御剣を鍛造して
能登守の受領名が与えられました。
また、戊辰戦争に従軍して作刀を行ったり
後に明治天皇の御太刀と御短刀も鍛造しています。
1876年、宮本が46歳のときの廃刀令により
多くの刀鍛冶は職を失いましたが
宮本包則は作刀の情熱を失うことなく
1887年に
伊勢神宮式年遷宮御神宝太刀等奉製の下命を受けます。
これらの功績が認められ、
宮本は1906年、76歳のときに、
同じく刀工の月山貞一と共に
帝室技芸員に任命されました。
さらに、1915年には、大正天皇の御大典に際して
大元帥刀を奉納、
さらには摂政宮(昭和天皇)など皇族の護刀や
明治神宮、平安神宮の神宝を鍛造しました。
宮本は幕末時代には、勤王志士らに長寸の打刀を鍛造し
王政復古以降は皇族の懐剣の製作を主に行いました。
作柄は質実剛健で端正な仕上がりで
備前伝の特徴である匂本位、
頭の揃った丁子乱が多く見られます。
後年には、山城伝の小佛出来の直刀が
見受けられることもあります。
その刀姿は品位が高く、入念な鍛錬、
大胆な焼き入れは、宮本包則の得意とするところで
技量の高さを示しています。
明治期の廃刀令以後、刀鍛冶が廃れていく中
宮本包則は、変わらず自らの情熱を
刀に打ち込んでいきました。
孝明から昭和に渡り、皇室御用鍛冶として
天皇の御剣を鍛えたその技術と名誉は
群を抜いて高いと言えるでしょう。
宮本包則は、日本刀の伝統を
現代の刀工に伝えた最後の名工であり
その功績は極めて高く評価されています。
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