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骨董品
2019/04/04

奥田元宋【文化勲章/日本画】

奥田元宋(おくだげんぞう)

 

奥田元宋は19126月に広島県吉舎村で生まれます。

 

やがて19歳で日影館中学校を卒業すると、

 

同じ広島県出身で遠い親戚になる、日本画家の

 

児玉希望に住み込みで弟子入りをしました。

 

一時、自身の才能に自身が無くなっていた時期には

 

児玉希望の下を離れましたが、

 

1935年に再度弟子入りを果たしています。

 

その翌年の1936年には、出品した『三人の女性』が

 

文部省美術展覧会を入選。

 

38歳の頃には児玉希望の一派と

 

伊東深水の一派によって作られた研究会である

 

「日月社」に加わり、

 

1956年には日展会員になります。

 

そして1984年、72歳の時には

 

文化勲章を受賞しました。

 

その後も作品の情熱は絶やす事なく、

 

1996年には銀閣寺の障壁画の四部作となる

 

山霊重畳を描き上げています。

 

そのほか代表作には『天霧山湖』や『待月』

 

『盲女と花』などがあります。

 

 

 

作品の特徴

 

奥田元宋は活動当初は人物画や花鳥画などの作品を

 

発表してきましたが、1944年に広島に疎開したのを

 

きっかけに、風景画を描くようになりました。

 

戦時中と言う大変な最中もあって、

 

自然の風景が愛おしく思えたと考えられます。

 

風景画においては当時の近代ヨーロッパの色彩感覚と

 

水墨画が合わさり、新朦朧体の表現と呼ばれ、

 

温かさに包まれてます。

 

また紅葉のある風景をモチーフに、

 

内面的表現を重厚感のある赤色を使って現した

 

「元宋の赤」と呼ばれる作品群も有名です。

 

 

 

作品や奥田元宋の背景

 

新朦朧体

 

空気感を重視するために

 

輪郭をぼんやりとさせて描く手法を朦朧体と言いますが

 

横山大観らが確立させたその技法は

 

非難の意味合いでも使われていました。

 

しかし表現手段して認知され、非難の意味合いが

 

少なからず薄まってきた事。

 

また奥田元宋の場合は空気感を幻想的に描写する事から

 

新朦朧体と言われていると考えられます。

 

伊東深水について

 

浮世絵と現代風俗を合わさった美人画。

 

また新版画運動を代表する日本画家しても

 

知られています。

 

ちなみに子は女優の朝丘雪路がいます。

 

 

 

元宋の赤について

 

奥田元宋が「元宋の赤」と呼ばれる作品を作ったのは

 

1974年の改組第6回日本美術展覧会に出した

 

『玄溟』からと言われています。

 

そしてそれから数カ月後に、妻を亡くしています。

 

その事がきっかけで一時期は筆を休んでいたものの

 

全国への写生旅を行い、

 

作品作りへの情熱が再び湧き上がりました。

 

恐らくそう言った経緯も、元宋の赤の作品群が

 

情熱や穏やかさも内包していると言われる

 

素因となっていると考えられます。

 

 

 

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