日本画家の奥村土牛は、1889年に東京で生まれます。
城東尋常小学校を卒業後、16歳の時に
梶田半古の画塾に入門し、塾頭だった
小林古径に師事して日本画を学びました。
やがて1906年の日本絵画展覧会に
『菅公の幼時』を出品し入選すると、翌年の
東京勧業博覧会でも『敦盛』が入選を果たします。
そして、23歳の頃から逓信省の為替貯金局統計課で働き
統計図や絵葉書、ポスターなどを製作し
5年ほど勤務しました。
この間も文芸雑誌「白樺」を愛読してゴッホやセザンヌ
ゴーギャンなどの後期印象派の影響を受け、
写生を続けていました。
また、35歳の時には新人の登竜門であった
中央美術社第5回展で『家』が中央美術賞を受賞、
その約2年後からは速水御船の研究会に参加し
大いに刺激を受けました。
そして、1927年の第14回再興院展で
『胡瓜畑』が初入選し
38歳で本格的な画壇デビューを果たします。
翌年の第15回院展では『雨趣』、
第16回同展では『蓮池』
第17回同展では『枇杷と少女』と出品し、
晩年まで院展への出品を続けました。
その後1935年には帝国美術学校教授に就任、
また東京美術学校講師も務めています。
また、58歳の時には日本芸術院会員ともなり
1962年、73歳で文化功労者、
そして文化勲章を受章しています。
奥村土牛は自らが師事した半古や古径から学んだ
写生や画品を重んじる制作姿勢を
生涯にわたって貫きました。
自身が語っているように
「絵を通して伝わってくるのは作者の人間性」
という信念を常に持ち続けて、
清らかな温かみのある作品を残しました。
その作風には、刷毛で胡粉などを
何百回と繰り返し重ね塗り、
微妙な色彩を表現する丹念な作業が用いられます。
皇居にも飾られている『富士』が有名です。
その他の代表作には実景を丹念に写生した
『鳴門』や『雪の山』、『聖牛』、
『城』などがあります。
奥村土牛は、長年の地道な画業で
その地位を築いていきました。
10代から絵画に親しみ38歳で院展で初入選するなど
画家としては遅咲きでしたが、
80歳を超えてもその制作意欲は衰えることなく、
精進を続けています。
その実直な人柄から生まれる作品は
人々から愛されています。
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