大坂弘道は1937年2月に
鳥取県倉吉市にて生まれました。
22歳で東京学芸大学美術科を卒業すると
美術教師の道へ進み、木工に関する技術を
独学で取得しています。
30代半ばからは木工芸家の本橋玉斎から教えを受け
その後唐木細工や指物の技術を
氷見晃堂や竹内碧外に師事する事で
習得していきました。
その後41歳からは2年連続で
日本伝統工芸展にて賞を受賞し
1984年になると正倉院宝物 紫檀木画箱の
複製作業を任せられるまでとなっています。
この頃には教師を辞め、創作活動に専念して行きました。
そして1997年、60歳のときに人間国宝に認定され、
現在に至ります。
大坂弘道の活動履歴で特に注目されているのは
正倉院宝物 紫檀木画箱の複製作業に務めた事です。
その作業を宮内庁から依頼されたのは
もちろん氏自身の技術による所があります。
大坂弘道の場合は複雑な模様の木画の上から
水晶や金銀、象牙などを当て込む技術に優れており
複雑な作業を要する木画箱に適していました。
とは言え大坂弘道の技術をもってしても
紫檀木画箱の複製は容易なことではなく
木画箱の構造調査には7年もの時間を費やしています。
複製作業の中には、必要な象牙や角、木材や金属、
膠などの材質を割り出す
繊細な作業なども含まれました。
また複製の中では幅1cmの模様のために
30枚もの細片を使う事が分かるなど
正倉院宝物 紫檀木画箱の技法全体の究明にも
貢献しました。
また正倉院宝物 紫檀木画箱の複製にあたって
鉱物の一種である錫が使われている事が判明した事は
大坂弘道の作品にも影響を与えました。
錫は花鳥作品や唐草文様として使われ
錫の源流を探る事に繋ります。
大坂弘道自身の作品でも糸鋸での透かし彫りや
嵌荘技法に発展していきました。
大坂弘道は練馬区立美術館にて
2012年11月から2013年2月にかけて、
「人間国宝大坂弘道展 正倉院から甦った珠玉の木工芸」
を展示しました。
この展示は大坂弘道の作品を愛する者には
貴重な催し物となっています。
と言うのも、大坂弘道は2003年から
作品の制作はしていても、販売の形含めて
世に出すことはありませんでした。
拘り主義のために、大坂弘道の作品は
年に二回ほどしか完成しないと言われています。
2003年から約9年間で作ったおよそ20作品が
ここで初めて見られ、改めて大坂弘道の技術の高さが
伺えるようになりました。
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