Useful お役立ち情報
2019.09.19
骨董品
時計
ブランド品

和田三造【洋画家/版画家】

和田三造(わださんぞう)

 

和田三造は、1883年に兵庫県で生まれました。

 

父は旧朽木藩の御典医であり

 

後に生野銀山鉱業所の勤務医や

 

校医をしていましたが

 

1890年代に福岡市に一家で転居し、

 

和田三造もそこで育ちました。

 

16歳の時には画家を志して上京し

 

黒田清輝の住み込み写生となり、

 

白馬会洋画研究所に入り

 

黒田清輝に師事し始めます。

 

そして、2年後となる1901年に

 

東京美術学校西洋画科選科に入学、

 

卒業後は白馬会10周年記念展で

 

『牧場の晩帰』、『伊豆大島風景』の

 

2作品を出品し、『牧場の晩帰』が白馬会賞を

 

受賞したことで頭角を現します。

 

さらに、1907年の第1回文部省美術展覧会で

 

『南風』が二等賞を受賞し、『南風』は

 

明治浪漫派の記念碑的な作品となりました。

 

翌年の第2回文展でも『煒燻』が

 

二等賞を獲得しています。

 

そして1909年、26歳の時には

 

文部省美術留学生として渡欧し、

 

フランスを中心としたヨーロッパ各国を周りながら

 

洋画や工芸図案の研究も行いました。

 

その帰途にインドやミャンマーにも寄り

 

東洋美術を学び、1915年に帰国しています。

 

約2年後には文展審査員、各展覧会にも出品しますが

 

装飾工芸の色彩研究も行い、

 

1920年に染色芸術研究所、1925年に

 

日本染色工芸協会を設立しました。

 

また44歳の時には帝国美術院の会員となり

 

日本標準色協会を創立。

 

色彩研究書の『色名総鑑』などに

 

この研究結果が表記されています。

 

その後は「昭和職業絵尽」シリーズの第1作として

 

1938年に木版画の『洋楽師』、『巡礼』を発表し

 

1956年に続編として発表された

 

『続昭和職業絵尽』シリーズまで続きました。

 

なお、これらの作品は新版画として

 

分類されています。

 

そして49歳の時には東京美術学校図案科教授に就任。

 

さらに60代になると日本標準色協会を

 

日本色彩研究所に改組して理事長に就任し、

 

日本初となる綜合標準色票の「色標準」を

 

完成させました。

 

その他にも多彩な制作活動を行い、

 

1953年の映画『地獄の門』においては

 

色彩デザイン及び衣装デザインを担当、

 

翌年の第27回アカデミー賞で

 

衣装デザイン賞を獲得しました。

 

やがて1958年、75歳の時には

 

文化功労者に選ばれています。

 

 

 

和田三造の作品の特徴と技法

 

和田三造の代表的な作品である『南風』は、

 

海の男たちの群像を描いた作品で

 

中央に立つ人物がたくましい筋肉で

 

超然と立っているのが印象的な作品です。

 

力強い筆使いと強烈な色彩で描き

 

日本の洋画界に衝撃を与えました。

 

 

 

和田三造の評価される所以

 

和田三造は、歴史的な洋画作品である

 

『南風』を発表するだけでなく、

 

標準色の研究などを行うなど

 

常に独創的で多彩な活躍を見せました。