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2019.07.11
骨董品

吉賀大眉【工芸作家/陶芸】

吉賀大眉(よしかたいび)

 

吉賀大眉は1915年2月に山口県萩市で生まれました。

 

父は萩焼窯元泉流山の窯元である吉賀要作として

 

知られています。

 

17才で萩商業学校を卒業すると同時に商工省の

 

京都陶磁器試験所へ入り、

 

帝国美術院展覧会審査員でもあり

 

パリ万博の出品作品『猿廻し置物』が知られている

 

沼田一雅と出会い、基礎的な技法を学びました。

 

また翌年には、金襴手の技法を駆使して

 

中国と朝鮮の古陶磁器の流れを汲んだ作品を

 

作り続けた、加藤土師萌からも教わります。

 

こうして腕を磨き、吉賀大眉は1971年に

 

花器の連作暁雲にて芸術院賞を獲得。

 

1982年には芸術院会員になるなどして活躍しました。

 

 

 

萩焼窯元泉流山について

 

萩焼窯元の泉流山は1826年に創られました。

 

ちなみに前年の1825年には、「異国船打払令」

 

と言う異国からの船の上陸を

 

徹底的に取り締まる追放令がありました。

 

その頃は恐らく自国内の文化の強度を

 

高める動きもあったと考えられ、

 

萩焼が誕生した1592年から既に

 

200年以上経っているので、萩焼の文化を保持する

 

萩焼窯元泉流山が作られた当時は、

 

その働きに背を押された部分もあったはずです。

 

 

 

吉賀大眉の作家性と萩焼の歴史について

 

吉賀大眉は萩焼の歴史を汲んだ上で、

 

現代的なエッセンスを作品に込めている

 

と言われています。

 

茶道具として作られている萩焼の制作は

 

そもそも1592年の豊臣秀吉の朝鮮の遠征が

 

きっかけです。

 

遠征の際にお供をした毛利輝元が

 

現地から連れてきた陶工の李勺光の李敬の兄弟に

 

萩にて作らせたのが始まりと言われています。

 

登り窯で作られる萩焼は、白釉が掛けられた

 

柔和な色合いが特徴です。

 

しかし言い換えればデザイン性に乏しく地味

 

とも捉えられ、その萩焼に対して

 

芸術的要素を持ち込んだのが、吉賀大眉の特色です。

 

また大眉白と称される白釉を駆使したり

 

大眉井戸と言う井戸茶碗と言う代表作もあります。

 

 

 

吉賀大眉記念館にて作品を展示

 

吉賀大眉は萩焼窯元泉流山において

 

後進の指導にも務め、また氏の残した作品は

 

萩焼窯元泉流山の隣にある吉賀大眉記念館にて

 

展示されています。

 

所縁のある作家の展示や作陶も可能など

 

作品だけでなく吉賀大眉の軌跡も

 

そこには残されています。

 

ちなみに吉賀大眉記念館には、吉賀大眉が

 

活動終盤に発表した暁雲シリーズと呼ばれる

 

作品群もあります。

 

大型のサイズとなっていますが、

 

大眉芸術とも呼ばれるそれは吉賀大眉が培った

 

世界観が際立っていると言われており、

 

まさに集大成の一つと言えます。