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2019.02.07
骨董品

前田青邨【帝室技芸員/日本画】

前田青邨(まえだせいそん

 

前田青邨は1885年に、岐阜県恵那郡にて生まれます。

 

ヤマツ食品を営む前田常吉の次男として育ちますが、

 

16歳で上京すると二人比丘尼色懴悔などで知られる

 

小説家の尾崎紅葉によって、梶田半古塾に入ります。

 

1914年に日本美術院の再興に関わると、

 

大和絵をベースとした歴史画や花鳥画、

 

肖像画などを手がけていきました。

 

これらの作品が認められ、1944年、59歳のときに

 

帝室技芸員に認定されます。

 

代表作としては『洞窟の頼朝』や『唐獅子』、

 

『風神・雷神』、『お水取』などがあります。

 

 

 

特徴

 

前田青邨は普遍的な題材を情感豊かに描きあげた

 

小林古径や、歴史をテーマに優美なタッチで

 

作品を描いた安田靫彦と合わせ、

 

日本美術院の三羽ガラスと呼ばれています。

 

その中で前田青邨は、

 

大和絵と琳派の技法をベースにした

 

爽やかな情感が溢れた作風で、歴史や人物画、

 

花鳥画を描きました。

 

また、たらしこみ描法も前田青邨の作品を語る上では

 

欠かせない技法となっています。

 

 

 

技法など

 

大和絵

 

日本の古くからある風景を描いています。

 

主流となる形ができあがったのは平安時代の中期で、

 

柔和なタッチと綺羅びやかな色合いで描いていきます。

 

琳派

 

江戸時代から始まった技法です。

 

金銀を大胆に使った華やかな作品群が知られています。

 

たらしこみ描法

 

まだ乾いてない内に別の色を塗ることで、

 

その偶然性とにじみ具合を楽しむ描法です。

 

琳派が好んで使ったものでもあります。

 

 

 

戦後も日本に貢献した前田青邨

 

前田青邨は戦後において日本画の素晴らしさを

 

海外に伝えた作家でもあります。

 

第二次世界大戦の時、日本は多くのものを失い

 

占領下におかれるなど敗北感を味わってきました。

 

しかし前田青邨はその中において

 

日本画家代表団団長として中国に渡ったり、

 

法隆寺壁画や高松塚壁画の再現及び模写も

 

務めていきました。

 

これらは当時の日本の大きな励みとなったはずです。