前田青邨は1885年に、岐阜県恵那郡にて生まれます。
ヤマツ食品を営む前田常吉の次男として育ちますが、
16歳で上京すると二人比丘尼色懴悔などで知られる
小説家の尾崎紅葉によって、梶田半古塾に入ります。
1914年に日本美術院の再興に関わると、
大和絵をベースとした歴史画や花鳥画、
肖像画などを手がけていきました。
これらの作品が認められ、1944年、59歳のときに
帝室技芸員に認定されます。
代表作としては『洞窟の頼朝』や『唐獅子』、
『風神・雷神』、『お水取』などがあります。
前田青邨は普遍的な題材を情感豊かに描きあげた
小林古径や、歴史をテーマに優美なタッチで
作品を描いた安田靫彦と合わせ、
日本美術院の三羽ガラスと呼ばれています。
その中で前田青邨は、
大和絵と琳派の技法をベースにした
爽やかな情感が溢れた作風で、歴史や人物画、
花鳥画を描きました。
また、たらしこみ描法も前田青邨の作品を語る上では
欠かせない技法となっています。
■大和絵
日本の古くからある風景を描いています。
主流となる形ができあがったのは平安時代の中期で、
柔和なタッチと綺羅びやかな色合いで描いていきます。
■琳派
江戸時代から始まった技法です。
金銀を大胆に使った華やかな作品群が知られています。
■たらしこみ描法
まだ乾いてない内に別の色を塗ることで、
その偶然性とにじみ具合を楽しむ描法です。
琳派が好んで使ったものでもあります。
前田青邨は戦後において日本画の素晴らしさを
海外に伝えた作家でもあります。
第二次世界大戦の時、日本は多くのものを失い
占領下におかれるなど敗北感を味わってきました。
しかし前田青邨はその中において
日本画家代表団団長として中国に渡ったり、
法隆寺壁画や高松塚壁画の再現及び模写も
務めていきました。
これらは当時の日本の大きな励みとなったはずです。