分部順治(わけべじゅんじ)
分部順治は1911年1月に群馬県高崎市で生まれました。
1928年に中学校を出ると、官展の三羽烏の一人で
堅実な作品作りで知られている建畠大夢から
彫刻の技術の指導を受けます。
またその翌年には東京美術学校彫刻科へ入り
木彫の技術を習得しました。
ちなみに同年には同じく官展の三羽烏の一人であり
八手会を立ち上げたメンバーとして知られている
北村西望からも学んでいます。
その後21歳の時には第13回帝国美術院展覧会において
出品した『母と子』が初入選となり、
その2年後である1934年には
東京美術学校彫刻科を卒業し、正木記念賞を獲得します。
1937年には第1回新文部省美術展覧会で
『若い男』が特選を獲得。
やがて44歳の時に第11回日本美術展覧会で
『新秋』により内閣総理大臣賞を受賞。
そして1995年3月、84歳で息を引き取りました。
分部順治の作品の背景
分部順治はブロンズによる、
男性の裸体像を手がけた事で知られています。
素材やモチーフの背景について紐解いていきます。
■ブロンズについて
ブロンズは主に銅と錫で作られています。
紀元前3000年になると、
アフガニスタンとパキスタン西部に広がる
イラン高原から銅や錫が採れるようになり
ブロンズ像の起源は
イラクのシュメール文明とされています。
そして中国から朝鮮半島に渡り、
日本にブロンズ像の技術が伝わりました。
元々、シュメール文明から立体像としても
完成度が高いと言われていますが
そもそもブロンズの特色は加工がしやすく、
強度もあるため
生活必需品の道具が作られてきたようです。
生活必需品を作る材質として使い慣れていたら
芸術作品として完成度の高いものが
最初から作られるのは必然的と言えます。
なお日本における一番有名なブロンズでの作品は
奈良の大仏像と言えます。
■男性の裸体像について
男性の裸体をモチーフにした作品は
少なくとも紀元前6世紀の『クーロス』と言う
作品から作られているようです。
男性の裸体をモチーフにした作品作りは、
15世紀に活躍した
ミケランジェロ・ブオナローティが有名ですが
『クーロス』の前から立体像作りのためにも
幾度となくデッサンされた事は容易に想像できます。
こう言った所から、
分部順治のブロンズによる裸体像も
古くからある文明と文化を組み合わせたもの
とも言えます。
男性像について
ミケランジェロのダヴィデ像は
旧約聖書に出てくる巨人ゴリアテに対峙する
ダヴィデの戦いの様子を描いています。
なお1923年には師匠である北村西望が
着衣した作品である寺内元帥騎馬像を造っています。
ところが戦争の物質として回収されましたが
同じ北村西望によって殆ど裸の状態の人物でもある
平和祈念像が、1950年に造られました。
男性像と言うのは、着衣の有無に限らず
時代状況によっては戦いを象徴するものに
見た人は感じ取っていたのかもしれませんが
北村西望自身の手もあって
そのイメージが変わってきたと言えます。
裸体とは精神の開放の象徴としても表現されますが
群馬県前橋駅前には分部順治が手掛けた
平和を象徴する作品の一つとして
男性の裸体像である『希』や、
二人組の裸の男女の建設と平和像などがあります。
恐らく分部順治や北村西望が
最終的に目指したかったのは、
平和の象徴である裸体像と思います。
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