冨田溪仙は1879年12月に福岡の博多で生まれました。また本名は鎮五郎と言います。1890年に黒田候御用絵師である衣笠守正から狩野派について学んでいったのですが、1896年に京都に上った次の年に日本画家・都路華香の門を叩き、今度は四条派について教わります。ちなみにこの時期は作家名を雪仙から華仙、溪仙と次々と変えていった時期でもあります。
また画家の富岡鉄斎や仙厓義梵(せんがいぎぼん)からも学んでいき、1899年に日本絵画協会・美術院連合共催会展で受賞。次に翌年には新古美術10年回顧展において3等を獲得したり、1902年には後素協会展でも入選を果たすと言ったように活躍が目立っていきました。
さらに大正元年となる1912年には、文展の場で初入選となった、南画を意識した作品『鵜船』を、横山大観が大いに評価しています。1914年には再興院展に京都画壇としては初めての参加となったり、翌年には日本美術院同人になるなどその地位はますます高まりました。
そして1936年7月、58歳で息を引き取っています。
作風を次々と変えていった所に特徴があります。
衣笠守正からは狩野派、都路華香には四条派について教えを受けていますが、それだけには留まらず、南画に仏画、禅画。それに西洋の表現主義を作風として採用したり、装飾的な琳派も作品のテイストの一部の要素として使うようになっていきました。
他にも、中国の老荘思想や、キリスト教について学んでいるなど、あらゆる研究の成果が冨田溪仙の作品には反映されています。
冨田溪仙の作品は新南画とも評されています。まず南画とは中国の元・明時代の山水画を、日本画ベースにしたものを指しますが、冨田溪仙の生きた明治時代は明治美術会の設立や文部省美術展覧会が初めて開催されるなど、美術関係で日本が盛り上がる時期でもありました。
それと同時に近代的表現も目指しており、南画に現代的価値観を与えた新南画もその中で歓迎され、冨田溪仙の作品も注目されました。
■代表作
1912年発表の『鵜船』(京都国立近代美術館に所蔵)。
1936年第1回改組帝展で発表の『万葉春秋』(東京国立近代美術館に所蔵)。
1930年院展発表の『御室の桜』(福岡市美術館に所蔵)などがあります。
■衣笠守正(きぬがさもりまさ)
福岡藩御用絵師衣笠家8代目として知られています。ちなみに狩野派は室町幕府の御用絵師である狩野正信を元に、明治初期まで隆盛を極めた絵師集団です。京都から九州にまで狩野派が広まっていることになります。
■都路華香(つじかこう)
明治から昭和序盤を代表する日本画家で「楳嶺四天王」の一人です。円山派や四条派の系譜を受け継ぎ1931に亡くなりますが、その翌年に冨田溪仙が率先して遺作展を開きました。
■横山大観
1868年生まれの茨城県出身の日本画家で、明治から昭和まで新しい美術作品を発表し続け名を馳せていきました。また1898年には日本美術院の設立に参加しています。
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