金重陶陽は、備前焼で有名な岡山県備前市の
備前焼窯元六姓の金重家の長男として誕生しました。
明治29年備前市伊部で誕生してから
備前焼の再興に尽力し
昭和42年に死去するまで、備前焼の陶工として
活躍しています。
その功績を称えられ人間国宝にも選ばれ
備前焼の再興に多大な貢献を果たしました。
弟に金重素山、長男に金重道明、
三男は金重晃介などがいます。
陶陽は父である楳陽に
主に動物をモチーフにした細工物や置物の基本を習い
細工物の名手として腕を磨きました。
また陶陽は表千家の茶道も学んでおり
その造詣を深めることによって
備前焼の作品にも生かされています。
陶陽が作品に用いた土にはこだわりがあり
主に備前市田井山で採れる良土である
「観音土」と呼ばれる田土を
3年から10年、風雨にさらして
数年かけて精製して用いていました。
その良土と、こだわりの精製法で
陶陽独特の土味を得ることができました。
作りに於いては、端正に造られた
白みがかった火襷を用いた作品や
へらを使った大胆な作品もあります。
その相対する作品を見事に備前焼に昇華させています。
次に、陶陽の作品に見られる「焼き」についてですが
還元焼成した青、黒の部分が残る「桟切り」、
焼成によってできる胡麻のような模様の「胡麻」、
火襷などの窯変を多く用いています。
陶陽の時代では技術的にも
かなり難しかっただろうと推測される技法です。
そのような土や焼き、技法を合わせて駆使することで
陶陽の備前焼の作品の特徴は形成されていた
と言えるでしょう。
陶陽が重要無形文化財「備前焼」の保持者に
認定されるまでに評価されたのは
その作品の素晴らしさと共に
やはり現在の備前焼の再興の礎となる技法を確立し、
その多くの秀れた弟子達の育成などにも
多大な功績を残したことにもあります。
桃山備前の伝統と格式ある優美な備前焼を再現しながら
斬新な新しい技法を用いて
現代の備前焼を作り上げた作品の数々は
その功績の重みを感じさせてくれます。