上村松篁は1902年11月に、京都市で生まれました。
母は序の舞が知られている画家の上村松園です。
1920年に京都市立絵画専門学校へ入学し、
京都画壇を代表する西山翠嶂に弟子入りします。
また同年には画塾青甲社にも入ったり、
第3回帝国美術院展覧会において閑庭迎秋を出品し
初入選を果たしました。
それ以後は1928年の第9回帝国美術院展覧会において
蓮池群鴛図が特選になったり、
第3回日本美術展覧会において審査員となるなどして
名を広めていきます。
しかし日本美術展覧会の運営に疑問を持ち
1947年に脱退。
次の年、46歳のときには秋野不矩や福田豊四郎達と共に
創造美術協会を立ち上げました。
これらの功績が認められ、上村は1984年
82歳のときに文化勲章を受章しています。
以降は京都市立美術専門学校の教授を務めたり
皇居新宮殿の為の屏風絵を描くといった活動も
有名です。
上村松篁の作品の特徴は、円山四条派に忠実ながらも
現代的な絵の構図や豊かな色彩感覚で、
花や鳥などを品位高く描いている所にあります。
またその特徴は
母の上村松園の作品と共通する所が多く、
上村松篁自身が母の作風を追いかけていた
とも言われています。
■円山四条派
江戸時代中期に栄えた円山応挙からなる円山派と
呉春が開いた四条派の合わせたものです。
円山応挙は写実的でありますが
バランスの良い構図を目指しており、
上村松篁の作品にもその思想が反映されている
と考えられます。
■京都市立美術専門学校
1880年に設立された
日本で初めての公立絵画専門学校です。
設立当初は、戦前の京都画壇を代表する竹内栖鳳や
同じく竹内栖鳳と共に
京都の重鎮として活躍した山元春挙。
菊池塾を設立した菊池契月などが在籍していました。
上村松篁は作品はもとより、京都市立絵画専門学校にて
後進の指導を行った事から、母の上村松園と同じく
文化勲章受章を受賞したと言われています。
しかしその作品は上村松園の遺伝子をも
しっかりと引き継いだものとなっており、
そういった点も文化勲章受章に繋がった、
と充分に考えられます。