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掛け軸・絵画
2019/11/28

ヘンリー杉本【洋画家】

ヘンリー杉本(ヘンリー・ユズル・スギモト)

 

ヘンリー杉本は19003月に

 

和歌山県海草郡で生まれました。

 

日本での名前は杉本謙と言います。

 

19歳になると両親がアメリカに住んでいた関係で

 

自身もヘンリーと名を改めアメリカに移り住みました。

 

その後、日本で育ての親となった祖父がきっかけで

 

絵を描いてきたことが影響し、

 

画家になる事を決心します。

 

そしてカリフォルニアにある

 

オークランド芸術大学に入り、また1929年には

 

パリに渡り在学中の1931年に、

 

サロン・ドートンヌに入選しました。

 

翌年はサンフランシスコ世界博覧会美術展で

 

金賞を獲得するなど、アメリカで名声を得ていきます。

 

ところが1941年には戦争の影響で

 

日系人である為に強制収容所へ入所。

 

この経験は以降の作品群政策への

 

大きな影響となりました。

 

収容所から出た後はニューヨークで生活

 

及び作家活動を行いますが、

 

1964年に一旦日本に帰り二科展で活躍。

 

収容所での日系人としての日々を伝える作家として

 

日本でもその名を広め、

 

19905月に息を引き取っています。

 

代表作としては『息子の負傷』、

 

『キャンプ・シーン』などがあります。

 

 

 

作風

 

ヘンリー杉本は前述の通り収容所に強制的に入れられた

 

日系人の苦悩を描いた作品群がよく知られています。

 

日本人の血が混じっているのもあってか

 

アメリカに対して誠実である事を強く求められ、

 

その心情や収容所での生活を

 

作品内で表現していきました。

 

それらはアメリカや日本に対して

 

苦労を伝える機能も果たし、

 

1983年にアメリカで行われた公聴会では

 

『キャンプ・シーン』に描かれている内容が

 

2万ドルの補償金と共に認められました。

 

また日本においてもヘンリー杉本の描いた作品が

 

1980年に公開される形となり、

 

勲六等単光旭日章となったり、

 

死後の2007年には和歌山市から

 

「偉人・先人顕彰」として認定されています。

 

 

 

戦争に翻弄されたヘンリー杉本

 

収容前であっても国際的な賞を獲得するなど、

 

それについては血筋の偏見なしに

 

一人の人間として立派に認められてきたと言えます。

 

ところが戦争により人種差別を受けたのは、

 

皮肉な出来事のように感じます。

 

それでも収容中の出来事を描いた作品は

 

記録画として認められ、

 

1952年にアメリカの市民権を獲得したのは

 

幾分でも心の癒しになったと思います。

 

なお故郷の和歌山県は

 

多くの移民を出してきた県でもあり

 

それもまたヘンリー杉本が、和歌山を

 

代表する人物となる一因になっているようです。

 

 

 

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