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2019.11.14
ブランド品

麻生三郎【洋画家】

麻生三郎(あそうさぶろう)

 

麻生三郎は19133月に東京府京橋区で生まれました。

 

その後明治学院中等部へ在学中である1928年に

 

同舟舎絵画研究所へ入り、さらに

 

1930年に明治学院中等部を出ると

 

情感的な作風で知られる洋画家の松本竣介。

 

また靉光や長谷川利行などが在籍している

 

太平洋美術学校選科に入学します。

 

しかし3年後の1933年には太平洋美術学校選科を中退し

 

その次の年から作品を発表。

 

24歳で第1回エコール・ド・東京展に出展しました。

 

また1938年にはヨーロッパに渡り

 

イタリアやフランス、またベルギーの芸術に接します。

 

その経験を通じて、シュルレアリスムと言った

 

前衛的な絵画作りを考えていたものが

 

リアリズムについても考えるようになり

 

以降の作風として形作られていきました。

 

帰国後の1939年には第9回独立展に入選し

 

1943年には新人画会を設立。

 

1959年に日本国際美術展において

 

『家族』が優秀賞を獲得。

 

 

1963年『人と雲』などが芸術選奨になると

 

活躍していきます。

 

1979年と1994年に大回顧展を開き

 

20004月にこの世を去ります。

 

 

 

作風

 

麻生三郎の作風としては、主に自分自身や

 

家族などの周りの人間を、その背景含めて

 

誠実に描いている所にあります。

 

戦時中から行っているスタンスで

 

黒や暗褐色と言った暗い色彩の質感で

 

簡略化して描いており、それは自己や

 

人の内面を見つめている所から来ています。

 

 

■リアリズム

 

事柄をありのままに表現しようとする考えで

 

実際はもっと多くの定義も含まれていますが

 

「写実主義」とも呼ばれています。

 

 

■シュルレアリスム

 

言語や行動、夢や空想や身体的要素を理解する

 

ジークムント・フロイトの精神分析理論が

 

元になったものです。

 

無意識を認めまた理性と融合させることを

 

目的としており、それが最終的に人間性の回復になる

 

と考えられています。

 

超現実主義とも言います。

 

 

新人画会

 

1943年に麻生三郎の他に松本竣介や、

 

超現実主義の影響を色濃く受け継いだ靉光。

 

自身の頭のイメージを元にした

 

シュルレアリスム作品を発表した糸園和三郎。

 

社会風刺を描いた井上長三郎といった

 

8人の作家で結成されました。

 

戦時下において表現が厳しく制限され、

 

画家とてしは戦争高揚画を作るのを求らめられる中

 

表現の自由を守るために抵抗意識をもって

 

作品を発表していきました。