小森邦夫(こもりくにお)
小森邦夫は1917年6月に東京都浅草で生まれました。
東京の中心で生まれ育った小森邦夫は
第一次世界大戦や関東大震災と言った事を経験する中
彫刻家になる事に目を向けます。
その為1935年、18歳の頃には構造社彫塑研究所へ入り
『七十近し』や『敗残』などが知られている
斉藤素厳に学びました。
そして同年に紀元2600年奉祝美術展において
出品した『めぐみ』が初入選となり、
そこから新文部省美術展覧会や
日本美術展覧会においても活躍を見せます。
1957年には中国平和委員会からの誘いにより
茨城県文化人代表として中国視察旅行を務め
翌年には日展審査員や会員を務めました。
また1956年には第12回日本美術展覧会において
出品した『腰かけた婦』が文部大臣賞を受賞。
1985年に『青春譜』で日本芸術院賞を獲得し
1993年10月に息を引き取っています。
■構造社について
斎藤素巌と朝倉文夫から学び、類まれなる才能を持つ
と言われている日名子実三によって
1926年に設立されました。
社会風刺やキュビスム、アール・デコを
取り入れるなどしているので、
実験的な場でもあると考えられます。
裸婦像や茨城の文化に貢献した事で有名
小森邦夫は裸婦をテーマにした作品群で
自身の世界観を確立させています。
1955年第11回日本美術展覧会において
特選となった『裸婦立像』。
次の年の第12回で同じ様に特選となった
『若い女』などが有名です。
また小森邦夫は茨城県の文化に
貢献した事でも知られています。
茨城文化団体連合の理事長となり
近代美術館建設運動なども務めていました。
代表的な作品としては千波公園にある『徳川光圀像』。
茨城県立運動公園にある『緑に舞う』。
勝田駅前の『であい』などがあります。
後進の作家の指導も手掛ける
女性像を初期から手がけており、
日本美術展覧会で特選を獲得した『ひとり』や『女』。
芸術院賞を獲得した
『告知―2001』で知られている蛭田二郎。
同じ様に女性像が有名な新日本美術展覧会で
初入選となった『女の首』。
日展文部大臣賞を獲得した『悠久の時』などがある
能島征二を指導しています。