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2019.11.07
骨董品

北村治禧【彫刻家】

北村治禧(きたむらはるよし)

 

北村治禧は19151月に長崎県島原市で生まれました。

 

父は『長崎平和祈念像』や『晩鐘』が知られる

 

男性裸像を得意とする彫刻家・北村西望として

 

知られています。

 

北村治禧は1933年に東京美術学校彫刻科に進学し

 

在籍中の1936年に文部省美術展覧会に出品した作品

 

『少女』で、学生ながらも初入選となります。

 

その後1939年に東京美術学校彫刻科を卒業し

 

1943年の新文部省美術展覧会では『髪』が特選。

 

またその4年後の文部省美術展覧会でも

 

同じく特選を受賞しました。

 

1968年には『光る波』が日本美術展覧会で

 

日本芸術院賞を獲得するなど、

 

文展や日展などの日本の芸術界で

 

存在感を知らしめていきます。

 

また日本彫塑会でも作品を発表し、1970年には

 

日本彫塑会理事に就任。

 

さらに1985年には日展事務局長も務めました。

 

そして20018月、86歳でこの世を去っています。

 

 

 

作風

 

北村治禧は、写実的な確かな技術力が感じられる

 

作品作りで知られています。

 

父の北村西望は勇ましさの感じられる

 

力のある作風であり、その影響も受けている

 

との指摘もあります。

 

また詩情性のある女性像も有名ですが

 

妖精シリーズも代表作であり

 

ブロンズで作られていることが多い

 

と言った特徴もあります。

 

 

 

■ブロンズについて

 

銅と錫などを合わせたもので、銅像との違いについて

 

しばし議論されています。

 

しかし銅像も同じ様に錫が使われているために

 

違いはないと言われています。

 

また銅像もブロンズ像も基本的に銅を85%

 

錫などを15%混ぜて作りますが、

 

割合や焼いた場所の環境などで、

 

色合いに差が生まれたりします。

 

 

 

■日本彫塑会

 

イギリスの王立美術院である

 

ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツで学び

 

『秋』や『敗残』が知られている齋藤素巖が

 

1962年に日本彫塑家倶楽部から

 

名前を日本彫塑会と名前を変えました。

 

日本彫塑家倶楽部は19532月に誕生しており

 

現在は日本彫刻会と名を変えていることを顧みると

 

実に60年以上の歴史を持っている事になります。

 

 

 

現在にも受け継がれている真摯な彫刻造り

 

北村治禧は日本において彫刻界の地位を

 

より固めた一人であると言えます。

 

2019年現在、日本彫刻会において

 

理事長を務めるのは神戸峰男で、

 

1ミリの違いで表現したいものが変わってくる」と

 

具象彫刻を大切に作っています。

 

彫刻としての真摯な作りは

 

現在にも受け継がれていることになります。