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2019.11.22
ブランド品

利根山光人【洋画家】

利根山光人(とねやまこうじん)

 

利根山光人(本名:光男)19219月に

 

東京都世田谷区で生まれました。

 

1943年に早稲田大学国漢科を卒業し、戦争体験を経て

 

その8年後に第3回読売アンデパンダン展において

 

『雨』、『風』を出品。

 

やがて1955年に東京で行われた「メキシコ美術展」に

 

足を運んだことがきっかけとなり、

 

利根山光人はメキシコに強く興味を持ち、

 

実際に何度も訪れるようになります。

 

最初のメキシコへの旅行は1959年。

 

その年には日本版画協会の推薦会員となり、

 

さらにメキシコ国立芸術院で個展を開催。

 

翌年には日本に帰る途中に

 

アメリカやヨーロッパ、インドにも訪れ

 

メキシコのマヤ遺跡や

 

アメリカのインディオの民俗文化にも

 

貢献するようになりました。

 

その後1965年にメキシコ国立近代美術館で

 

「メキシコ古代拓本展」を開催し、7年後の1972年には

 

メキシコ政府から

 

アギラ・アステカ・エンコミエンダ章を

 

与えられています。

 

(なお1987年にもメキシコ政府から再び

 

アギラ・アステカ・プラーカ章を授かります。)

 

1976年には第1回自宅アトリエ展を開き、

 

晩年となる1991年には日本国内の画廊にて

 

「戦中派の証言展」を開催。

 

そして19944月にこの世を去ります。

 

 

 

「太陽の画家」と呼ばれる情熱

 

利根山光人は日本の戦後における、

 

現代美術の第一人者と言われています。

 

壁画作品も多く、代表作にJR横浜にある陶板レリーフ

 

『太陽とこども』。岩手北上駅にある

 

『日輪』などがあります。

 

利根山光人は自身の様々な感動体験を作品に現し

 

「星の王」や「春の祭典」などが知られている

 

イーゴリ・ストラヴィンスキーの音楽に

 

心が揺り動かされ作品を作ったり、また文学作品

 

「ドン・キホーテ」をモチーフにしたシリーズも

 

発表しています。

 

そして来歴で取り上げているように

 

メキシコをテーマにした作品発表など、

 

感動したものに対して情熱を傾けて表現することから

 

「太陽の画家」と呼ばれています。

 

なお1943年に学徒として戦争に駆り出された経験も

 

作品作りの背景の一つであり、これらは

 

「ヒロシマ・ナガサキ・南京」シリーズとして

 

表現されました。

 

このように様々なテーマで作品を発表していますが

 

全体的にはヒューマニズムが根底に流れている

 

と指摘されています。

 

 

 

利根山光人の伝えたかったヒューマニズム

 

ヒューマニズムとは人間性を尊重する

 

と言う意味があります。

 

また利根山光人は様々な事に対して楽しんでいたのが

 

こちらにも伝わりますが、戦時中の頃は

 

それらを楽しむ余裕は無かったと思われます。

 

様々な事に対して楽しむこと自体が

 

ヒューマニズムであると言えますし、

 

戦争を体験したからこそ、

 

平和への思いを訴えながらも

 

利根山光人が伝えたかったのは、

 

その楽しむと言う行為だったのかもしれません。

 

そして自身が自宅で開いた音楽や絵画について学ぶ

 

「アルテ・トネヤマ」は、2000年代の現在も

 

開かれています。