- 骨董品松山店2023/09/11
骨董品・美術品、遺品整理の高価買取
こんにちは。江戸時代の貨幣や記念硬貨など、古銭の買取専門店『くらや松山店』です。
日本の古いコインや紙幣、珍しい記念硬貨や外国のコインなど、お客様のご自宅に古銭が眠っていませんか?お持ちの方はぜひ一度、『くらや松山店』までお問合せください。
古銭とは、現在使用されなくなった古いコイン・紙幣のことです。近年ですと、〈聖徳太子の一万円札〉〈夏目漱石の千円札〉などは皆様の記憶にも新しいのではないでしょうか?今回は数多く存在する古銭のうち、いくつか代表的なものをご紹介していきたいと思います。
日本が明治維新を遂げ、西洋列強に倣い製造した洋式のコイン・紙幣です。江戸時代までの鋳造式ではなく、現在と同じくプレス加工を用いた方法で製造されました。金貨・銀貨・銅貨の3種類のうち金貨はあまり流通せず、主に使用されていたのは銀貨と銅貨でした。
当時の日本円は〈円〉単位の下に〈銭〉単位があり、高額面の多い紙幣となるのは〈円〉単位から、コインは〈銭〉単位から発行されました。明治には、〈銭〉単位の更に下である〈厘〉という単位の大変小さな銅貨まで存在していましたが、ご覧になったことがあるでしょうか?
金貨は、2000年台初めに話題になった〈財務省放出金貨〉のように国が退蔵した物が多く、一般家庭にあるというのは非常に希有な事例です。額面は1円から20円まであり、流通した金貨は少なく綺麗な状態のものが多く見られます。明治の円金貨収集は、古銭収集の花形とも言えるのではないでしょうか。
銀貨は日常的に使われたもので、一般家庭でも多く見られました。額面は10~50銭と、コインの中でも高額面の物が多く種類も豊富です。
銅貨は10銭以下のものが多く、銅貨の中でも5銭・10銭というまとまった数字のものは、現在の百円玉の素材でもある白銅を用いた〈白銅貨〉で流通していました。
前述の通り明治から昭和初期までは、銀貨と銅貨が流通貨幣として一般的でした。しかし太平洋戦争が始まり金属が希少になってくると、今まで使われなかった金属〈アルミニウム〉〈鉛〉〈錫(すず)〉などがコインに使用されるようになりました。太平洋戦争末期になると、〈陶器〉のコインまで製造されたのです。
紙幣は〈兌換券(だかんけん)〉とも呼ばれ、コイン同様に西洋技術の導入によって明治初期から製造されました。当時の紙幣は、銀行でその額面のコイン(金貨)と随時交換できる保証付きという、信用度の高いものでした。
デザインは古代日本の人物や神話をモチーフにした秀麗なものが多く、ピン札などの状態の良い物は高額買取が期待できます。明治初期の紙幣は現存数が大変少なく、紙幣収集をしている方々にとっては垂涎ものです。
▽有名なコイン
・20円金貨
・10円金貨
・貿易銀
・旧一円銀貨
・新一円銀貨
・竜50銭銀貨
・小型50銭銀貨
・竜20銭銀貨
・竜10銭銀貨
▽有名な紙幣
・明治通宝
・旧国立銀行券
・大黒札
・改造紙幣(神功皇后札)
江戸時代のお金といえば〈小判〉というイメージがありませんか?実はこの小判、庶民が使う場面は稀だったとのこと。小判は金貨であり江戸の三貨制度の頂点にあったため、日常的に使うには余りにも高額だったのです。商人や武家、一部の町人が使用するに留まり、多くの人は角金銀貨や銭を用いるのみだったと言われています。
それであっても小判は相当数が流通し、現代の貨幣価値にして数十万円に当たる高額品でした。それゆえ当時から偽造品が存在したため、〈間違いなく本物の小判である〉として両替を行った小判には、両替商が独自の刻印を打刻することも。現存する小判でもこの両替印が散見されます。
小判は江戸時代初期の〈慶長小判〉から始まり、幕末の〈万延小判〉まで大きさや重さを変えながらも、製造されたものは江戸時代を通して変わらぬ様式です。小判の5~10枚分の価値を持つ大型の〈大判〉も製造されましたが、これは一般には流通せず武家や公家の贈答用として使用されました。
世界的にも珍しいのですが、長方形の四角い金貨があったのをご存じでしょうか?これは〈角金貨〉と言って、江戸時代に小判の補助通貨として製造されたものです。小判の1/2の額面である二分金、1/4の額面である一分金、1/8の額面である二朱金、1/16の額面である一朱金と、種類も数多くありました。
これらは日常的に使用される最高額面の金貨でした。この金貨も額面が高額で、小判と同様に当時から偽造品が作られたため、両替時に刻印が打たれたものも多く見られます。
江戸時代において銀貨は、重さを測り銭の価値に置換えて使う〈秤量貨幣〉と呼ばれるものでした。大型の〈丁銀〉、小型の〈豆板銀〉〈露銀〉などの種類が存在しましたが、江戸時代後期には決まった額面を持つ四角い銀貨〈角銀貨〉が登場。これが人気を博し、その結果銀貨は〈秤量貨幣〉から〈定数貨幣〉へ移行していったのです。
定数貨幣の〈角銀貨〉は、先述の〈角金貨〉のような長方形の四角いもので、本来ならば金貨の単位である〈一分〉や〈一朱〉という単位のものが製造されました。
代表的な一分銀や一朱銀は、江戸時代後期に製造が開始され歴史的には新しい部類に入りますが、製造量も多く相当数が流通したので目にした方も多いのではないでしょうか。金貨ほどではありませんが纏まった金額であったため、丁銀や一分銀にも流通当時から偽物が存在しました。小判や金貨と同様、これらの丁銀や一分銀にも両替時の刻印が打たれる場合があったのです。
銭形平次でお馴染みの、真ん中に四角い穴の空いたコインです。その歴史はなんと2200年以上もあり、穴銭の歴史は古代中国の秦王朝で製造された半両銭から始まりました。
日本の穴銭は、西暦708年に製造が開始された〈和同開珎〉から江戸時代を通して使用された〈寛永通宝〉まで、約1000年に渡り使用された息の長いコインです。素材は主に銅で、庶民のお金として日常的に使われてきました。
とりわけ〈寛永通宝〉は、江戸時代初期の寛永年間から明治の初め頃までと使用歴が長いコインでした。寛永通宝という4文字の刻まれた穴銭は様々なバリュエーションも含め約230年間も使用され続けました。穴銭は〈文〉という単位で表し、〈早起きは三文の徳〉という諺の〈三文〉とは、穴銭3枚ほどという意味なのです。
大きさや重さが約1000年に渡り大きく変わらず、流通当時それが例え数百年前のコインであっても使用され続けた穴銭。日常的に使われた年月は非常に長く、〈和同開珎〉や〈寛永通宝〉以外にも多くの種類がありました。コレクターも非常に多い穴銭は、希少なものであれば高価買取も期待できる古銭です。
▽有名なコイン
和同開珎
永楽通宝
寛永通宝
宝永通宝
文久永宝
〈藩札〉というのは、発行した藩の名前や発行した商会組合の名前、時には豪商の屋号の入ったやや細長い長方形の紙幣のことを指します。江戸時代は三貨制度の元に、金貨(小判)・銀貨(秤量貨幣)・銅貨(穴銭)の3つの貨幣が半ば独立した流通体系を取っており、支払いの額面の多寡に応じてお金(コイン)を用意する必要がありました。
その点、紙幣である藩札は金属でできたコインと違い、紙製であるため軽くて小さく持ち運びも便利。その上額面も大小あり、正貨への兌換もスムーズに行えたため人気を博しました。藩札は発行した藩の領内でのみ通用したため、幕末の濫発期を除いてインフレの原因にならず長らく安定した通貨でした。全国各地で発行されたため膨大な種類があり、コレクターも多く存在します。
戦後に発行され、現在でも日常的に使用されるお馴染みのコインと紙幣。その中でも古銭としてのプレミア価値が付く場合が3つほどあります。
現在日本においては、毎年新年度の刻まれたコインが発行されますが、その製造数はコインの種類によってそれぞれです。流通状況に応じて生産数の増減を決定するため、製造数の少ない年が生まれることも。これをコイン収集の業界では〈特年〉と呼び、収集の対象とします。
製造時の製造ミスによる規格外のコイン・紙幣のことです。コインであれば、裏表模様がなければならないところが片面しか模様がない、五十円玉の真ん中の穴がずれて空いているなどの事例が挙げられます。紙幣であれば、印刷が片面だけになっている、印刷の位置がずれていて余白が出てしまっているなどの場合です。
これらのエラー貨幣は、検品漏れにより極めて稀に生産ラインから世に出てくるため、非常に高額でコレクターも多く存在します。エラー貨幣は一般流通しており、知らず知らずのうちに既に手にしていることもあるのでは…?
紙幣には製造番号が記載されていますが、これが〈777777〉の様に同一番号(ゾロ目)で揃っているとプレミア価値が付き、高額で買取されることも。他にも連番で〈123456〉の様な製造番号の紙幣も、高価買取が期待できる事例です。これらも一般流通しているので、気付かないうちに入手している可能性もあります。お財布の中に、既にお宝が眠っているかもしれませんね。
日本では、天皇陛下の即位記念や在位記念、オリンピックの国内開催など数多の記念すべき年に記念硬貨が発行されてきました。記念硬貨は一般的にほぼ流通せず、コレクション性のあるコインであるため収集家の一番多いジャンルです。
近年では都道府県をモチーフにしたコインも発行され、話題になりました。記念硬貨はコレクターも多く、買取が望めるコインです。
▽有名な記念硬貨
天皇在位六十周年10万円金貨
皇太子御成婚記念5万円金貨
東京オリンピック記念千円銀貨
地方自治60周年記念千円銀貨
古銭収集の対象は、日本のコイン・紙幣だけでなく海外のコイン・紙幣にも及び、日本古銭同様に盛んに行われています。日本は、戦後長らくの安定した経済のおかげで通貨制度の大きな変更などはなく、現在使用されている百円玉や五十円玉は同一デザインで発行され続け、早50年余りです。
その間、世界では様々な理由による貨幣制度の変更がありました。日本のように50年前の貨幣が使用可能な国というのは珍しいのです。今は使用されなくなった外国貨幣も〈古銭〉という扱いになり、デザインも拘ったものが多いためコレクターも非常に多くいます。
その他にも、海外で資産として発行されているのが〈地金型コイン〉。プラチナ・金・銀などの貴金属を用いて製造されており、資産価値がある上にインゴットに比べ装飾性が高く、更にコレクション性も有しているため非常に人気が高いです。
▽有名な外国コイン
ナポレオン金貨(フランス)
メイプルリーフ金貨・銀貨(カナダ)
クラウン銀貨(イギリス)
モルガンダラー銀貨(アメリカ)
袁世凱一円銀貨(中国)
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