山岡鉄舟は1836年6月に江戸で生まれました。なお本名は高歩といったため、“山岡高歩”と記される場合もあります。父親は旗本である小野朝右衛門としても知られており、幼少期から剣術家を志していた山岡鉄舟は、井上清虎や山岡静山らから剣術・槍術を学んでいきました。
中でも山岡静山とは、一年足らずの師匠と弟子の関係ではありましたが繋がりは深く、山岡静山が急死してしまった後には山岡静山の妹の英子と結婚。婿入り婚を果たし、山岡の姓を引き継ぐ事となりました。また無刀流を提案したり、数々の弟子を育てる事も行い、20歳になった頃には講武所剣術世話心得として務めるようになります。その後20代半ば頃には浪士組取締役に就任。翌年の1863年には講武所槍術教授ともなりました。なお徳川慶喜の護衛も務めています。
1868年には、駿府にて西郷隆盛と出会い、また勝海舟との話し合いを受け持ち江戸城無血開城を実現。同年の明治維新後も、政府の役職や明治天皇の侍従として就任しました。多くの功績から50代になると子爵としての地位を授けられますが、その翌年の1888年7月、52歳で息を引き取っています。
山岡鉄舟は欲がなく、それでいて剣術だけでなく、禅や書にも優れていたと言われています。また西郷隆盛や勝海舟に続く江戸城無血開城の一人と言われており、徳川家や細かい内容について西郷隆盛に持ちかけました。なお記した書は3万枚ほどされています。
山岡鉄舟は1857年に尊王攘夷を掲げる虎尾の会、1859年には尊王攘夷党も立ち上げています。尊王攘夷とは天皇について誠実を示し日本を守ると言う考えですが、開国して海外の国を受け入れる日本について強い反対を示す側面があり、それは幕府を倒す危険性もはらんでいました。
よって山岡鉄舟の存在は政府内でも危険視されていたのですが、勝海舟の場合は深い理解を示しており、やがて西郷隆盛から自身を顧みず徳川慶喜を守る姿を見て「高尚な人物」と言ったような評価がされるようになります。
なお勝海舟や高橋泥舟と合わせて3人で“幕末の三舟”もしくは“海舟の神、泥舟の気、鉄舟の力”と呼ばれています。ちなみにそのように言われる背景には山岡静山と出会った事が強く起因しており、山岡静山からは武術のみならず性格の面でも学んでいたようです。
■無刀流
一刀正伝無刀流とも呼びます。勝ち負けよりも精神面の充実を図っています。
■浪士組
尊王攘夷派として活動した清河八郎が浪士組を動かし、浪士組は倒幕を目指し機能するようになったのですが、その方針に反対したメンバーによって新選組が生まれました。
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