山本眞輔は1933年に愛知県西尾市で生まれました。
祖父は書家をしており、父親は画家として活動しているという所謂芸術一家ですが、祖父には字や漢文について教えられ、父親からは英語について学ぶよう言われているなど、勉強漬けの子供時代を過ごしたと言われています。
一方で、選択教科は音楽を選び、合唱も率先して行うなど、芸術に対して触れることに楽しさを覚えていたようです。
やがて大学受験の際に彫刻科を選び、担当教師に褒められたことをきっかけにその道を歩むことを考え、東京教育大学彫塑専攻科に入学。そして1963年には同校を卒業しました。
その後30代中頃になると、日本だけで学ぶことに限界を感じていた山本眞輔は、イタリア国立ローマ美術学校彫刻科に留学。
その2年後となる1970年には名鉄百貨店で渡欧作品展を開き、1972年には日本美術展覧会で初入選、また特選と言う快挙を達成していきます。
50代になると名古屋三越での個展開催を成功させ、1984年には文部省派遣在外研究員という形で再度イタリアへ留学。帰国後も精力的に活動し、1996年には日展評議員となったり、2004年には日本芸術院賞を獲得するなどして今に至ります。
山本眞輔はイタリアに2回渡った事で、静かな雰囲気の若い女性像を扱った『祈り』のシリーズ。諸国を回った経験を活かした『心の旅』シリーズ。自然を尊重する気持ちを着衣の女性像として現した2004年に芸術院賞となった『生生流転』や日展内閣総理大臣賞の『森からの声』など様々な作品群を展開しています。
またデッサンや蝋型といったように、作品の種類も幅広く手がけています。
これらの作品を通して、山本眞輔は悲しみや怒りなど負の感情も含む、目には見えない美しさを表現していると語っています。
また自分の中の内なるパワーが、自身に作品を作らせていると言う感覚で作品を制作しているようです。
2度に渡るイタリア留学は、現地で目にした彫刻作品からそれまでの系譜をなぞるだけの作品制作のままではいけないという意識を山本眞輔にもたらし、以降の作品制作に大きな影響を与えたといわれています。
山本眞輔は自身の幼少期を楽しい思い出として記憶しているのが分かります。
また大学受験の際に彫刻家を選んだ際にも、一般企業に務めることを視野に入れており、地に足の着いた人でもあると言えます。
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