小林永濯(こばやしえいたく)
小林永濯は1843年3月に東京で生まれました。
漁師の息子であるものの、潔癖症でもある事
そして体が弱かった事もあって、魚に接するよりも
幼少期から1人で絵を描き続けていた
と言われています。
その後、1855年から
内国勧業博覧会の審査員や帝室技芸員となる人物
狩野派の狩野永悳(えいとく)から教わり、
18歳の時に近江彦根藩主の
井伊直弼のお抱え絵師となりました。
しかし、その井伊直弼が命を奪われた、
1860年3月の桜田門外の変以降は
井伊家を抜けて様々な国を渡っています。
この間には狩野派の絵師の養子となったり
東京に自身の作品を制作するための場を
設けるなどしました。
1864年には浮世絵の百鬼夜行の
錦絵の版下を制作したのが
狩野派の派閥で問題となり、数年後からは
改めて浮世絵師としての活動を開始。
また、1868年が元年となる明治時代突入期には
『耶蘇一代弁妄記』や『近代報国百人一首』など
多くの媒体の挿絵を描き、
1885年の第一回鑑画会大会で出品した
『僧祐天夢に不動を見る図』は
一等賞を獲得しました。
享年は48歳と短いながら、
このように濃い人生を送り、また仏画から戯画まで
多くの種類の作品を描く画力を持ち
同時に狩野派と浮世絵が入り混じった
独自の作風で知られる河鍋暁斎など
多くの画家と交流があった事で知られています。
作風
小林永濯は丹念に描いた、
品の良い雰囲気の作品群で人気となりました。
上記のように様々な挿絵を描き、
他にも絵本や狂画に肉筆画を手掛けていると
ジャンルに縛られずに描いている印象を受けます。
また狩野派の技術をよく受け継いでいますが、
狩野派の特徴である手本通りに描く
粉本主義に限らずに、
西洋絵画の写実性を取り入れ、写真も時には使う
と言う工夫を行ってきました。
■狂画
ふざけて描いた絵の事を指します。
■肉筆画
複製ではなく肉筆で描いたものです。
また浮世絵ではよく版画技法を使われますが
そうではなく肉筆で描いたものは
肉筆浮世絵と呼ばれています。
小林永濯の人となりが感じられる作品群
小林永濯の作品は
柔らかい雰囲気が感じられるものが
目立つように感じます。
その作品の柔らかい雰囲気は、
小林永濯自身の性格が穏やかで仲間が多かった為だ
とも言われています。
なお日本美術研究家の
ウィリアム・スタージス・ビゲローが
作品を買うなど、国内より海外で
知られている作家です。
そう言った理由もあってか、
残念ながら国内での展示機会は
あまり恵まれていない模様です。
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