鹿子木孟郎(かのこぎたけしろう)
鹿子木孟郎は1874年11月に、
岡山県岡山市で生まれました。
岡山の藩士の家系に生まれますが、8歳の頃になると
伯父の鹿子木性を名乗る事となります。
1888年に高等小学校を卒業すると
洋画家の松原三五郎の開く天彩学舎に入り
また1892年には小山正太郎が主催する
不同舎で絵の指導を受けました。
なお健康上の理由で岡山にて教師として勤務し
同時に肖像画家として
他の地方に渡ったりもしています。
1900年にはアメリカを経由してフランスに渡り
パリにて洋画家の
ジャン・ポール・ローランスから学び
自身の作風に大きな影響を与えられました。
このときの渡欧は約4年間の滞在でしたが
以降鹿子木孟郎は1906年と1915年の
全部で3度に渡ってパリに訪れています。
日本に帰国したのちは
アカデミー鹿子木という画塾を開いたり
関西美術院や京都高等工芸学校でも教えるなど、
後進の育成を積極に行っていきました。
以降は文部省美術展覧会や
帝国美術院展覧会の場においても
積極的に作品を発表し、
1941年4月、66歳でこの世を去っています。
作風
鹿子木孟郎の作風に影響を与えた
ジャン・ポール・ローランスは
超現実的と称される作風で、
迫力のある画面構成を得意としており
最後の歴史画家や宗教画家と言われています。
鹿子木孟郎は肖像画や風景画の描写に長け
またジャン・ポール・ローランスの写実性に
影響を受けたと言われています。
制作した作品は明治神宮絵画館に飾られている
『奉天入城図』や、『ローランス画伯の肖像』
などが有名です。
・初期の代表作
若い頃から画家を志していた鹿子木孟郎は
同時に欧州地方への憧れを強く持ち、
教師として働きながら
具体的に計画を進めていました。
その頃の作品としては近代化途中の日本を描いた
『津の停車場』があり、
初期の代表作として数えられますが
後ろ姿の女性を印象的に画面に配し、
彼女が見ている鉄道風景を
こちらも同じような感覚で見られる独特の構図が
印象的な作品となっています。
なお鹿子木孟郎自身は結婚した相手の名前である
『春子』を、作品名としているようです。
堅実的に生きた鹿子木孟郎
ジャン・ポール・ローランスから学んだ
鹿子木孟郎の作風は、革新的ではない
安定的なものでもあり、
後年後進の指導にシフトできたのも
その為だと考えられます。
当時の日本では学術的な絵画思考が強く
その主流は鹿子木孟郎の作風を
歓迎できるものであると言えます。
鹿子木孟郎自身はその歓迎に
自ら応えてみせている言動をとっており
数度のパリ留学や京都に移り住んで
写実的な作風で知られている浅井忠とで、
聖護院洋画研究所での指導にあたっています。
夢がありながらも教師として働いたり
こう言った指導など、
堅実的に生きたのが鹿子木孟郎と言えそうです。
片づけ始める前にご相談ください
眠っている品物に思わぬ価値がある場合があります。
遺品整理業者・リサイクル業者は、骨董美術品類に高額をつけることはできません。
さらに処分費もかかります。無料査定・買取で賢い遺品整理・蔵整理をお勧めいたします。
買取専門店KURAYAは,骨董品,金・プラチナ、ブランド品、ブランド時計、ダイヤモンド、切手、古銭、勲章、日本刀・鎧兜、掛け軸・絵画、版画、おもちゃ・ノベルティ、 高級食器、珊瑚、翡翠・鼈甲・琥珀、カメラ、鉄道模型,、着物・小物、鉄瓶・茶道具 ,墨・書道具など確かな目で高額買取いたします。
買取専門店くらやは、新しいもの・古いもの、どんなお品も対象に鑑定する買取専門店としてオープンいたしました。貴金属・ブランド品買取をはじめとし、 古物・切手の買取・骨董品の買取に力をいれております。 ご自宅に眠っている貴金属・ブランド品・骨董品などはございませんか?古物・貴金属・ブランド品などを整理したい方、 現金が必要な方、お引越しで荷物を整理したい方、遺品整理、古い蔵を取り壊して中身を処分したい方など、様々なお客様からご利用いただいております。
新しい物・古い物、どんなお品も対象に査定する