長沼守敬(ながぬまもりよし)
長沼守敬は1857年9月に岩手県一関市で生まれました。
家は士族の家系としても知られています。
17歳の頃からイタリア公使館で働くと同時に
イタリア語を学び始めました。
そして7年後にイタリアに渡り
ベネチア王立美術学校にて
アカデミックな彫刻の技術を取得。
なお入学は日本人としては初めてとなると同時に
1885年に高い学績能力を携えて卒業しています。
その後1887年に明治美術会の立ち上げに加わり
第1回の展覧会において、唯一の彫刻家として
『肖像』や『美人半身』、『童子』を出品。
1890年には第3回の内国勧業博覧会の審査員となり
以降も審査員として活躍します。
40代の時にイタリアやフランスに
視察目的によって渡り、その翌年に日本に帰ると
初の東京美術学校塑造科の主任教授を務めました。
制作活動も続け、1900年にはパリ万博にて
出品した『老父』が金賞を獲得。
そして1942年7月に息を引き取ります。
他の代表作としては『ベルツ胸像』や
『毛利敬親公像』などがあります。
作風
長沼守敬はイタリアのアカデミズムなやり方を
日本に伝える事で、明治時代における
日本の洋風彫刻の先駆けとなった事で知られています。
■ルネサンスについて
イタリアのアカデミズム(王道的)の
代表と言えるルネサンスは、
14世紀から16世紀にかけて行われた運動です。
神話を含むギリシャやローマの文化を見直したり
各個人の個性を大切にしたり、
また現代を認めると言った試みがされてきました。
■代表作「老父」について
とは言え、長沼守敬の代表作となっている
パリ万博にて金賞となった『老父』は
日本やイタリアの神話ではなく、
もっと身近な題材となっています。
長沼守敬の知人の植木職人の男性を
モデルにしています。
皺や身に付けている物まで忠実に再現しており
長沼守敬の確かな観察眼が
ありありと現れていると言われています。
また王道的な技術が使われている
と言う指摘もあり、洋風彫刻を
最も象徴する作品となっています。
ルネサンスは前述の通り
各個人の個性を大切にしたり、
精神性を尊重するものなので
受賞や代表作として認められているのは
その部分が感じられた所に
起因していると考えられます。
長沼守敬の精神性
長沼守敬は1914年に引退し
作品制作から身を置いてます。
その理由についてハッキリした資料は
見当たりませんが、余生をゆっくりと過ごし
また様々な作家達との交流をしているので
概ね充実した人生となったと言えそうです。
一つの時代を築いた長沼守敬が
彫刻に表現した精神性について、
作品を通して学んでみると良いかもしれません。