Useful お役立ち情報
2019.12.26
骨董品

長沼守敬【彫刻家】

長沼守敬(ながぬまもりよし)

 

長沼守敬は18579月に岩手県一関市で生まれました。

 

家は士族の家系としても知られています。

 

17歳の頃からイタリア公使館で働くと同時に

 

イタリア語を学び始めました。

 

そして7年後にイタリアに渡り

 

ベネチア王立美術学校にて

 

アカデミックな彫刻の技術を取得。

 

なお入学は日本人としては初めてとなると同時に

 

1885年に高い学績能力を携えて卒業しています。

 

その後1887年に明治美術会の立ち上げに加わり

 

1回の展覧会において、唯一の彫刻家として

 

『肖像』や『美人半身』、『童子』を出品。

 

1890年には第3回の内国勧業博覧会の審査員となり

 

以降も審査員として活躍します。

 

40代の時にイタリアやフランスに

 

視察目的によって渡り、その翌年に日本に帰ると

 

初の東京美術学校塑造科の主任教授を務めました。

 

制作活動も続け、1900年にはパリ万博にて

 

出品した『老父』が金賞を獲得。

 

そして19427月に息を引き取ります。

 

他の代表作としては『ベルツ胸像』や

 

『毛利敬親公像』などがあります。

 

 

 

作風

 

長沼守敬はイタリアのアカデミズムなやり方を

 

日本に伝える事で、明治時代における

 

日本の洋風彫刻の先駆けとなった事で知られています。

 

■ルネサンスについて

 

イタリアのアカデミズム(王道的)

 

代表と言えるルネサンスは、

 

14世紀から16世紀にかけて行われた運動です。

 

神話を含むギリシャやローマの文化を見直したり

 

各個人の個性を大切にしたり、

 

また現代を認めると言った試みがされてきました。

 

■代表作「老父」について

 

とは言え、長沼守敬の代表作となっている

 

パリ万博にて金賞となった『老父』は

 

日本やイタリアの神話ではなく、

 

もっと身近な題材となっています。

 

長沼守敬の知人の植木職人の男性を

 

モデルにしています。

 

皺や身に付けている物まで忠実に再現しており

 

長沼守敬の確かな観察眼が

 

ありありと現れていると言われています。

 

また王道的な技術が使われている

 

と言う指摘もあり、洋風彫刻を

 

最も象徴する作品となっています。

 

ルネサンスは前述の通り

 

各個人の個性を大切にしたり、

 

精神性を尊重するものなので

 

受賞や代表作として認められているのは

 

その部分が感じられた所に

 

起因していると考えられます。

 

 

 

長沼守敬の精神性

 

長沼守敬は1914年に引退し

 

作品制作から身を置いてます。

 

その理由についてハッキリした資料は

 

見当たりませんが、余生をゆっくりと過ごし

 

また様々な作家達との交流をしているので

 

概ね充実した人生となったと言えそうです。

 

一つの時代を築いた長沼守敬が

 

彫刻に表現した精神性について、

 

作品を通して学んでみると良いかもしれません。