富永直樹(とみながなおき)
富永直樹(本名:良雄)は1913年5月に
長崎県長崎市で生まれました。
1926年に長崎県長崎中学校に入学。
中学五年生の時に呉服店で展示されていた
官設美術展出品作品の裸婦像を見たことで
彫刻家になりたいと言う願望を持った
と言われています。
その為、1933年には東京美術学校
彫刻科塑造部に入ります。
そこには多くの猫の作品を手掛けている朝倉文夫や
氏自身も制作に参加した『長崎平和祈念像』が
知られている北村西望。
写実性が高いながらも穏やかな作風で知られている
建畠大夢が指導を行っており、
富永直樹は彼らの下で教えを受けました。
やがて1936年の文部省美術展覧会において
ブロンズ像の『F子の首』が初入選。
2年後に卒業すると同時に
そのまま彫刻科研究科に入っています。
以降も日本美術展覧会への出品を積極的に行い
1950年、日本美術展覧会において
『殊勲者』が特選受賞すると同時に、
名を直樹に改めました。
また1952年に日本美術展覧会に出品した『主将』は
無鑑査かつ特選を獲得しています。
やがて1973年には
日本美術展覧会の理事を務めることとなり、
1990年、77歳の時に文化勲章を受章。
その次の年には長崎県名誉県民となりました。
2006月4月、93歳で息を引きとっています。
デザイナーとしても活躍
また富永直樹は同時にデザイナーでもありました。
三洋電機のザイン部門で常務として勤務したりするなど
活躍を見せ、黒電話4号機や日本で初めてのカラー電話。
家具調テレビのデザインも手掛けていました。
これらを通して日本の、戦後の電化製品のデザインを
語るにも欠かせない人物と言われています。
彫刻家としての作風
富永直樹は正統的写実表現でありながらも
穏やかでかつ力強さも持ち合わせた
作品展開をしてきました。
また、モデルの内面を再現する
オーギュスト・ロダンではなく、ロダンの弟子であり
造形性と力強さに優れているブールデルの作風を好み、
衣服を着た男性像の作品を多く発表しています。
なお1960年代の中盤に、
キリスト教をモチーフにした作品を多く手掛けています。
自身はカトリック教徒ではありませんが、
そうは見えないほどに
キリスト教をモチーフにした作品には
神秘性に溢れています。
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