建畠大夢(たてはたたいむ)
建畠大夢(本名:彌一郎)は1880年2月に
和歌山県有田川町で生まれます。
裕福な家庭で育ち野上尋常高等小学校を卒業した後は
父の願い通りに医者になる予定だったものの、
勉強が続く日々を受け入れられず
叔父の知人に相談します。
その後叔父の紹介のもと、
京都市立美術工芸学校へと入りました。
やがて京都市立美術工芸学校から
東京美術学校彫刻科へ入り、
物を作ることに対して強く興味を抱いていた建畠は
同校で彫塑科を創った白井雨山から
その技術を学んでいきます。
また東京美術学校の在学時から
1908年の文部省美術展覧会において初入選、
及び文部省が作品を購入し、
以降は毎年出品し受賞を重ねるなど
才能を発揮していました。
1917年には北村西望や
「動物彫刻60年回顧展」で知られている池田勇八。
「天下一の原型師」と名高い名誉を持つ
国方林三と共に八手会を設立。
また1918年には結婚をし、その翌年には
帝国美術院展覧会の審査員を務め、
日暮里にアトリエを構えます。
同年には、壮大なスケールで知られている
画家の川端龍子や下村観山と共に
南紀美術会を設立しました。
その後1942年、62歳の時に息を引き取ります。
作風
建畠大夢の作風は、「斬新」、「前衛的」
といった表現は当てはまらない実直なものが
多く見られます。
この穏やかで落ち着いた作風について
友であり建畠大夢や朝倉文夫と並んで、
官展の三羽烏として知られている北村西望曰く
「実験的な作品を作らなかったのは、
自身の確かな信念があったからと思う」
と述べていたそうです。
なお北村西望は100歳になっても作品を創り続け
例え愚直でも真摯に向き合うと言った旨の
発言を残しています。
こう言った信念を持っているからこそ
実験的でなくても真摯に向き合ってきた
建畠大夢自身の作品作りにも
強く共感を覚えたのかもしれません。
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