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2019.09.05
骨董品

大須賀喬【工芸作家/金工】

大須賀喬(おおすがたかし)

 

大須賀喬は、1901年に香川県高松市に生まれました。

 

香川県立高松工芸学校金工科を卒業後、

 

東京美術学校金工科に入学します。

 

東京美術学校では本格的に作家活動を目指す様になり

 

柔軟な新しい作品を制作していきました。

 

また、彫金家の北原千鹿に弟子入りすると

 

そこで彫刻、金工技術の基礎から応用まで学び、

 

金工家としての心構えや仕事としての芸術活動も

 

身に付けていきました。

 

そして、大須賀が26歳の頃には

 

北原千鹿、信田洋、田村泰二、

 

村越道守、山脇洋二らと共に「工人社」を創立し

 

同人になり、仲間と共に金工工芸の発展を

 

志していきます。

 

その後1929年の第10回帝展では

 

『壁面花挿』が初入選を果たし、

 

さらに第14回帝展に出品した『彫金花瓶』は

 

特選を受賞するなど、第10回帝展に初入選してからは

 

毎年受賞を重ねていきました。

 

また、1936年の帝展では

 

『仙人掌香盆』が推選となっています。

 

そして、1942年以後は新文展や日展で審査員を務め

 

並行して続けた制作活動の中では

 

1958年に日展に出品した『丸文陶平皿』が、

 

翌年の日本芸術院賞を受賞しました。

 

さらに1958年に日展評議院になり

 

1969年に同理事、1980年に参事となっています。

 

この間、1950年には日本金工制作協会を設立

 

後に日本金工作家協会を設立し会長を務めました。

 

 

 

大須賀喬の作品の特徴と技法

 

大須賀喬は金工家らが集う「工人社」の創立し

 

その制作活動の場は主に帝展や日展でした。

 

そして作品のモチーフは日々の生活の身近な場所から

 

昆虫や植物を好んで取り上げていました。

 

大須賀はこのモチーフを

 

無機質な材質である金属を用いて、

 

躍動感ある柔和な表現で作品を作り上げています。

 

技術主義に陥らず工芸の本質を見極めようとした

 

意欲的な作品を多く発表し

 

昭和初期の工芸界に新風を吹き込み、

 

新しい金工芸の世界を創出しました。

 

 

 

大須賀喬の評価される所以

 

大須賀喬は、伝統的な技法や表現も尊重しながら

 

大須賀喬独自の世界観を確立しました。

 

昆虫や植物などのモチーフを写実的に表現し

 

その優れた象嵌技術は高く評価されています。

 

また、その優れた技術は息子の彫刻家である

 

選にも引き継がれ、日展などを中心に

 

自由闊達な制作活動を行っています。