加守田章二は1933年に大阪府にて、
加守田貞臣と八重子の長男として生まれました。
高校生の頃になると最初は興味を持っていた
油絵の才能で多くの人に注目されますが
卒業後の1952年には陶芸の道に進む事を決め、
京都市立美術大学工芸科陶磁器専攻へ
入学しています。
そこで近藤悠三助・富本憲吉両教授、岩淵重哉助手、
近藤悠三などから作陶に対する
あらゆる基本的な事を教わりました。
やがて23才で同校を卒業すると同時に、
茨城県日立市にある大甕陶苑で勤務。
なお大甕陶苑には茨城県を代表する竹内彰もいます。
3年後の1959年には栃木県益子町にて独立を果たし
また翌年には細谷昌子と結婚。
続けて、細谷昌子と共に第8回日本伝統工芸展に
初入選しました。
この日本伝統工芸展では鉄釉花瓶を出品し
灰釉技法が使われていることが
入選の理由となったようです。
その後1968年には国立現代美術館主催の
現代陶芸の新世代に招待出品されますが、
加入していた日本工芸会正会員を辞退し
無所属になります。
1969年に高村光太郎賞を受賞し、
また同年には岩手県遠野に拠点を移し
作家活動を行いました。
加守田章二の作品は独立当時、
益子町で一般的だった民芸的な作品とは
作風が違っていたため
あまり売れているとは言い難い状況でした。
しかしその才能が油絵画家を目指していた時のように
注目を集めるようになり、灰釉や焼締め、
鉄釉などを駆使した純朴ながらも
強い意志の感じられる作品群が、
徐々に受け入れられていきます。
そのテイストは、前述の
第8回日本伝統工芸展の初入選へと繋っていきます。
ところが自身は作風を一定とする事をせず
岩手県遠野に拠点を移してからは
曲線彫文や彩陶などの技法を使うことで
その作品は独自性を強める結果となりました。
しかし、それもまた多くの人に
支持されるようになります。
・灰釉
柞や欅などの植物の灰を使った釉のことです。
名前からして
灰色を想像してしまいがちだと思いますが
青や青緑、乳白色のものが作れます。
釉薬は使わずに焼き物を一気に高温で
焼き上げる技法の事です。
また実際は締焼きと言います。
・鉄釉鉄釉
酸化鉄のある釉薬で、基本的に黒く覆われていますが
青磁釉や黄瀬戸釉、伊羅保釉などに細分化されます。
・彩陶
彩色の文様がある土器を指します。
彩陶土器としては幾何学文や動物文が
代表的なものとして上げられます。
作風が支持されていなかった当時、
自身のそれに少なからず葛藤があったと考えられます。
また一度自分の作風が認められると、
今度はそれを変えたくなくなるのが普通にも感じます。
しかし加守田章二は、曲線彫文や彩陶などを使って
テイストを変え、自身の新たな作風の探求に
尽力しています。
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