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2019.07.05
骨董品

加守田章二【工芸作家/陶芸】

加守田章二(かもだしょうじ)

 

加守田章二は1933年に大阪府にて、

 

加守田貞臣と八重子の長男として生まれました。

 

高校生の頃になると最初は興味を持っていた

 

油絵の才能で多くの人に注目されますが

 

卒業後の1952年には陶芸の道に進む事を決め、

 

京都市立美術大学工芸科陶磁器専攻へ

 

入学しています。

 

そこで近藤悠三助・富本憲吉両教授、岩淵重哉助手、

 

近藤悠三などから作陶に対する

 

あらゆる基本的な事を教わりました。

 

やがて23才で同校を卒業すると同時に、

 

茨城県日立市にある大甕陶苑で勤務。

 

なお大甕陶苑には茨城県を代表する竹内彰もいます。

 

3年後の1959年には栃木県益子町にて独立を果たし

 

また翌年には細谷昌子と結婚。

 

続けて、細谷昌子と共に第8回日本伝統工芸展に

 

初入選しました。

 

この日本伝統工芸展では鉄釉花瓶を出品し

 

灰釉技法が使われていることが

 

入選の理由となったようです。

 

その後1968年には国立現代美術館主催の

 

現代陶芸の新世代に招待出品されますが、

 

加入していた日本工芸会正会員を辞退し

 

無所属になります。

 

1969年に高村光太郎賞を受賞し、

 

また同年には岩手県遠野に拠点を移し

 

作家活動を行いました。

 

 

 

■作風

 

加守田章二の作品は独立当時、

 

益子町で一般的だった民芸的な作品とは

 

作風が違っていたため

 

あまり売れているとは言い難い状況でした。

 

しかしその才能が油絵画家を目指していた時のように

 

注目を集めるようになり、灰釉や焼締め、

 

鉄釉などを駆使した純朴ながらも

 

強い意志の感じられる作品群が、

 

徐々に受け入れられていきます。

 

そのテイストは、前述の

 

第8回日本伝統工芸展の初入選へと繋っていきます。

 

ところが自身は作風を一定とする事をせず

 

岩手県遠野に拠点を移してからは

 

曲線彫文や彩陶などの技法を使うことで

 

その作品は独自性を強める結果となりました。

 

しかし、それもまた多くの人に

 

支持されるようになります。

 

 

 

■技法について

 

・灰釉

 

柞や欅などの植物の灰を使った釉のことです。

 

名前からして

 

灰色を想像してしまいがちだと思いますが

 

青や青緑、乳白色のものが作れます。

 

・焼締め

 

釉薬は使わずに焼き物を一気に高温で

 

焼き上げる技法の事です。

 

また実際は締焼きと言います。

・鉄釉鉄釉

酸化鉄のある釉薬で、基本的に黒く覆われていますが

 

青磁釉や黄瀬戸釉、伊羅保釉などに細分化されます。

・彩陶

彩色の文様がある土器を指します。

 

彩陶土器としては幾何学文や動物文が

 

代表的なものとして上げられます。

 

 

 

■認められた作風に満足することはなかった加守田章二

 

作風が支持されていなかった当時、

 

自身のそれに少なからず葛藤があったと考えられます。

 

また一度自分の作風が認められると、

 

今度はそれを変えたくなくなるのが普通にも感じます。

 

しかし加守田章二は、曲線彫文や彩陶などを使って

 

テイストを変え、自身の新たな作風の探求に

 

尽力しています。