円鍔勝三は1905年に
広島県御調郡御調町で生まれます。
16歳で河内尋常高等小学校高等科を卒業すると
京都出身の欄間彫刻で知られる石割秀光の下、
住み込みで基礎技術を磨いていきました。
21歳になると京都市立商工専修学校彫刻科
及びデッサン科に入るものの、
独自の作家性を見出したかった氏は、
その2年後の1928年に東京に上京し、
日本美術学校へ入ります。
やがて1930年の第11回帝国美術院展覧会に出した
『星陽』が初入選となり、1932年には
日本美術学校を卒業すると同時に、
モダンな作風で知られる
沢田政広に弟子入りしました。
その後30代の半ばの頃には沢田政広や、
大正から戦前を代表する彫刻家の三木宗策と共に
正統木彫家協会の会員となり、同年には
第4回文部省美術展覧会での『途上』が無鑑査出品。
第1回正統木彫家協会展では『道化』を発表するなど
積極的に作品を発表していきます。
そして1988年、83歳の時に
文化勲章を受賞しました。
円鍔勝三の作品は
人間味溢れる穏やかな内面性など、
豊かなメッセージ性が込められている
と言われています。
また数多くのモニュメントを創っており
例えば山梨県山梨市にある、
200以上の様々な会社を創り
「鉄道王」と言う通称もある、根津嘉一郎の像。
東京都港区芝公園内の伊能忠敬を讃えた
伊能忠敬測地遺功表。
広島市中区のこども図書館及び
こども文化科学館前にある、
児童文学者の鈴木三重吉の記念碑。
広島・平和記念公園の
平和記念像などがあります。
また円鍔勝三は木彫だけにこだわらず、
金属と木彫り合わせた
第12回日本美術展覧会に出品した『かがみ』や
ステンレスなどでの作品作りも行ってきました。
■沢田政広(澤田政廣)
静岡県出身の彫刻家です。
高村光雲の弟子で、帝展や日展の審査員や
理事長も務めました。
木彫の分野で文化勲章を受章していますが、
そのほかに陶芸や絵画、書、版画にも
優れた才能を発揮しています。
■三木宗策
福島県出身の彫刻家です。
山本瑞雲に師事し、帝展の審査員などを務めました。
日本木彫会の結成後は、沢田らとともに
東京や大阪で展覧会を行いましたが、
のちに分離して正統木彫家協会を興し
活動に励んでいます。
円鍔勝三が多くのモニュメントを制作したのは、
そこにあるメッセージ性を強く伝えられた所にある
と考えられます。
また正統木彫家協会になるなど、
他の作家と強い繋がりを持っているのも
円鍔勝三自身について言える事です。