楠部彌弌は、1897年に京都市東山区に生まれました。
父はかつて幸野楳嶺に日本画を学んでいて
僊山と号していました。
楠部彌弌は15歳で
京都市立陶磁器試験場付属伝習所に入所し、
卒業すると東山にアトリエを構えて
陶芸の創作活動を行います。
18歳の時には粟田口の工房で本格的に陶芸活動に入り
その頃に河井寛次郎、黒田辰秋らとの
交流を深めました。
また、国画創作協会の活動に感化され
八木一艸らと「赤土」を結成し、
陶芸の芸術的地位を高める為に尽力しました。
そして、1924年のパリ万博で
『百仏飾壷』を出品し入賞します。
また、1927年には八木一艸らと
新たに『耀々会』を結成し、第8回帝展に
『葡萄文花瓶』を出品し入選しました。
さらに第14回帝展では
『青華甜瓜文繍文菱花式龍耳花瓶』が特選を受賞し
この頃から朝鮮の古磁器や仁清などの研究を
本格的に始めます。
そして、1937年のパリ万博では
『色絵飾壷』が受賞し、同年に第1回新文展に
『彩埏』の技法を用いた
『黄磁堆埏群鹿花瓶』を出品しました。
第7回日展では『白磁四方花瓶』が
芸術選奨文部大臣賞を受賞すると
1953年に京都若手陶芸家を中心にした
「青陶会」を結成し、指導的立場で率いました。
さらに同年、伊東陶山らとともに
「搏埴会」を結成しています。
また、同年の第9回日展に出品した
『慶夏花瓶』が翌年に日本芸術院賞を受賞、
1962年には日本芸術院会員となります。
その後、日展の参事、評議員、理事、
常務理事、顧問などを歴任し、1972年に文化功労者、
1978年、81歳の時に文化勲章を受章しました。
1979年には日本新工芸家連盟を結成しています。
楠部彌弌の作品は多技多彩であり、
その中でも「彩埏」と呼ばれた釉下彩磁は
楠部彌弌が編み出した独自の技法です。
「彩埏」とは釉薬を磁土に混ぜ
何度も塗り重ねることにより、
独特な深い色合いを引き出す技法です。
楠部彌弌は、第1回新文展に
この「彩埏」の技法を用いた作品である
『黄磁堆埏群鹿花瓶』を発表しています。
また、第1回現代工芸美術家協会展に出品した
『早蕨釉花瓶』の作品では、
中国古来の彩色法の研究成果として
独自の早蕨釉、蒼釉(碧玉釉)などの
発色法を考案し発表しました。
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