織物工芸家の川島甚兵衛は、1853年に
京都の呉服悉皆(しっかい)屋の
長男として生まれました。
幼い頃より織物の図案や製法に優れた才能を見せ
美術織物の制作に打ち込んで行きます。
やがて26歳の頃、父の死をきっかけに
家業を継ぐこととなりました。
その後1885年には、五品共進会に出品したのを機に
農商務省大輔品川弥二郎の知遇を得て、
翌年渡欧しています。
ヨーロッパではパリの国立ゴブラン製造所で
ゴブラン織(タペストリー)の過程を視察したり
ベルリンでは持参した織物見本1万点が
大好評を得るなどしました。
そして翌年には
皇居造営御用織物の製作の為に帰国しています。
その後川島は伝統技術を守りながらも
洋風の新技術を加え、綴錦や唐錦の改良を行いました。
綴綿の製作に尽力し、「雲鶴之図」
「若沖動植物採画図」、「富士巻狩図」、
「武具曝涼図」などの代表作を次々に発表していきます。
こうして1889年のパリ万国博覧会での金賞受賞をはじめ
国内外の博覧会で数々の賞を獲得すると
1898年、45歳の時に帝室技芸員に任命されました。
川島甚兵衛の作品の最大の特徴は
「綴織(つづらおり)」の技術を
使用していることでしょう。
「綴織」とは、緯(よこ)糸に
二色以上の色糸を使用して、模様部分のみ
織り綴るようにして模様を表した織物を言います。
緯糸が模様部分のみ使われ、つづら折りのように
蛇行して織り進めるので
「綴織」と呼ばれるようになったと言われています。
そして、川島甚兵衛の代表作にあげられるのが
「室内装飾透視図・百花百鳥の間」です。
この作品は、1905年のベルギーで開催された
万博に出品された作品で、王宮のような広間に
優雅な孔雀が舞い降りる姿を表現した織物です。
その織物の枠を超えた壮大なタペストリーは
当時の万博でも大好評を得て、日本の織物技術と
欧州の技術を巧みに駆使した
最高級の芸術作品と評価されました。
川島甚兵衛は、欧州から最先端の織物技術を取り入れ
日本、とりわけ京都の伝統的な織物技術を改良し
「綴織」を革新的な発展に導きました。
壮麗な芸術品としての工芸織物を開拓し
現在でも尚、その美しい織物技術、文化は
立派に引き継がれ発展を続けています。
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