
こんにちは、福島県で骨董品の高価買取り「くらや郡山店」です。
本日は骨董品買取りのご紹介です。
出張買取りにうかがった際に出てきた「古伊万里」の大皿で、古くから家にあったそうで、昔は親戚が集まると、この大皿に料理を盛り付けて出していたそうです。
今は使うこともなく「できれば処分してほしい」とお話がありましたが、「えっ!!処分ですか?これはお値段がつきますよ!」とお答えすると大変驚かれ、ご納得の買取りとなりました。
「古伊万里」とは江戸時代に現在の佐賀県有田町で焼かれた陶磁器で骨董品としての価値があり、現在の伊万里焼とは違います。この陶磁器の製法を使い、明治時代初期から現在の佐賀県有田市で焼かれて、出荷したのが伊万里港でしたので「伊万里」と呼ばれるようになりました。
当初は白磁に青の一色で文様が描かれていましたが、1670年代に初代酒井田柿右衛門によって釉薬や素地の改良が進み、乳白色の素地がつくられました。また、色を使って絵画的な文様が描かれるようになり、柿右衛門様式と呼ばれる磁器の作風が確立されました。
諸外国の陶器の輸入は中国からの輸入でしたが、清王朝が遷界令をひいたことによって、貿易が途絶えてしまいました。そこで日本と貿易が盛んに行われていたポルトガルの商人がヨーロッパ人の好みに合う製品を作らせたのが、日本からの輸出の始まりです。
「古伊万里」はたちまちヨーロッパの王侯貴族たちに広まり、評判が良く、今現在もオールドイマリとして世界に収集家がたくさんいます。
また、国内でも幕府や大名などへの最高級贈答品として「鍋島焼」が誕生し、鍋島藩のお抱え窯として、採算度外視し、最高の職人に最高の作品を作らせていました。
この藩は職人の保護や育成にも関わり、職人たちの生活を保障していましたが、技術が外に漏れることを恐れて、外の世界からは完全に隔離され、職人たちは一生外部には出ることがなく、閉鎖的な社会が作られていたそうです。
しかし、門外不出の技術も1806年に瀬戸の陶工が潜入し、技術が外部に漏れることになります。この技術はたちまち全国の陶工に広まり、地方の窯でも磁器の生産が始まっていきます。
骨董品は鑑定査定が難しいイメージがあると思いますが、「くらや郡山店」では経験豊富な鑑定士が骨董品の査定・買取りを行なっています。
古い瀬戸物など旧家の片付けで出てきた不用品・骨董品の査定買取りは、ぜひ一度「くらや郡山店」までご相談下さい。
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店舗: くらや 郡山店
住所: 福島県郡山店朝日2-1-16
電話: 024-953-7725
営業時間: 10:00~19:00