
こんにちは! 郡山市役所近く内環状線沿いの
骨董品・古銭の買取専門店「くらや郡山店」です。
古い家の片付けをされている方から、ご覧のような江戸時代の古銭の持込みがありました。
寛永通宝、天保通宝の他に文久永宝や渡来銭の類です。
寛永通宝は江戸時代の古銭の代表格で、寛永13年(1636年)から鋳造され、藩政体制が終わり明治維新の後もしばらく流通していたといわれています。
お客様から興味本位でよく聞かれることとして、
「古銭は当時どのくらいの価値だったの?」
というのがあります。
まず「金一両」はいくらなのか?
そして、寛永通宝や天保通宝はいくらなのか?をご説明します。
当時の貨幣は、「金貨」「銀貨」「銭貨」の3種類ありました。
江戸時代の「金貨」の代表格が小判金で、元禄・享保・天保など各時代で鋳造されています。
「銀貨」の代表的なものは、一分銀や一朱銀でしょう。
「銭貨」は古銭の中で最も多く、寛永通宝や天保通宝などです。
小判の「金一両」を基準にご説明していきます。
江戸時代の古銭の貨幣単位は少しややこしく、
一両=四分
一分=四朱
一朱=250文
となります。
なので「金一両」は「4,000文」となります。
小判一枚が「金一両」で、現在の貨幣価値に直すと「約10万円」といわれています。
最小単位の一文が「約25円」となります。
そこでお買取りさせていただいた画像を見ていくと、小判形の古銭が3枚、わら紐で縛られた古銭、あとはバラバラの状態の古銭とあります。
このうちバラバラの古銭とわら紐にまとめられた古銭が一文銭で、これが寛永通宝です。
この寛永通宝は、「一文銭」なので、当時約25円の価値でした。
次に小判形の古銭は100文銭で、天保通宝です。
当百と表記されており100文なので、当時約2500円の価値でした。
では、江戸庶民の生活を貨幣価値で考えるとどうなるかというと、
じつは詳細に記録が残っています!!
『文政年間漫録』という江戸時代の書籍に当時の江戸庶民の生活が詳しく書かれており、
大工の日給は、四匁二分(420文)
長屋の家賃は銀5匁など。
おおよそ1800年頃の古銭の価値でしたが、幕末にかけて急激なインフレがあり、江戸幕府が終わるころには「金一両」は約2万円程度だったともいわれています。
古銭というジャンルで歴史を振り返っても面白いものです!!
また、古銭には様々な種類があります。
幕末に地方の大藩で財政再建のために造られた密造銭や、
特定の地方でしか流通していないもの、
各藩で発行した藩札など。
古銭の査定買取りは専門知識と豊富な経験が重要です!!
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