- 骨董品松山店2023/09/11
骨董品・美術品、遺品整理の高価買取
もくじ
こんにちは。絵画をはじめ、骨董品・古美術品などの買取をする買取専門店『くらや松山店』です。今回は、自然の風景や動植物の油彩画を得意とする洋画家〈野間仁根〉についてご紹介していきたいと思います。
愛媛県に生まれ、海と釣りをこよなく愛した洋画家〈野間仁根〉。骨太で豪快なタッチと、鮮やかで大胆な配色が融合する作風は、観る者に強烈な印象を与えます。代表作は〈瀬戸内海日の出〉〈薔薇〉〈山彦〉などで、海や森をテーマにした作品が多いのも特徴です。
野間仁根が生み出した数々の作品は、多島美あふれるしまなみの風景を見ながら育った温かみを感じられるのではないでしょうか。気さくでユーモア溢れるその人柄を表している絵画は、今でも根強い人気を誇ります。
現在も故郷の愛媛には生家が残っており、地元でも名高い洋画家です。今治市には、野間仁根の絵画が多数収蔵されたミュージアムも開設されています。
1901年(明治34年)2月5日誕生。生まれ育った愛媛県伊予大島の津倉村は、現在の今治市の大島です。当時は津倉村、その後吉海町となり、現在は平成の大合併で今治市になっています。
吉海はサイクリングの聖地として知られるしまなみ海道を構成する伊予大島の一部で、橋で高速道路が繋がるまでは四国や本州へのアクセスが船でしかできないような場所でした。
さて、津倉村に誕生した野間仁根は、地元の小学校から今治市内の高等小学校・中学校へと進学。やがて、1919年12月25日に母親と共に上京し、翌年1920年4月には東京美術学校に入学しました。
在学中から野間仁根が積極的に取り組んでいたのが、写生旅行です。1920年の夏季休暇には諏訪や甲州を訪れ、翌年1921年には那須の塩原温泉に滞在し、〈秋山景色〉を完成させました。
本格的に画家の活動をはじめたのは1923年のことです。この年に洋画家の伊東廉・中谷健次・一原五常らと共に童顔社を結成しました。後に野間仁根の代表作となる〈娘と人形〉の完成も、この頃でした。
翌年1924年には新光洋画展や中央美術展などに出品し、同年9月に行われた二科展に於いては初入選を果たすことに。その他にも自身初となる個展や、童顔社の展覧会を開催するなど積極的に活動を行いました。
1925年には香川県善通寺の陸軍に入隊。約1年で現役満期を迎え、その後再び絵の道に戻ることとなりました。
1926年からは再び二科展への出品を続けていましたが、1927年には童顔社を解散。翌年1928年には柘榴社に入会し、新たな活動の場を得て順調に画壇での実績を積んでいった野間仁根。プライベートでは1932年に結婚し、その後誕生した長女は後に銅版画家、長男は画家・彫刻家となりました。
臨時招集により、1938年から1年3ヶ月に渡り中国各地を転戦。翌年の招集解除後にはまた絵の道に戻り、自身の作品制作と並行して流行作家の装幀なども手掛けました。携わったのは、小川未明著〈童話集〉・坪田譲治著〈童心の花〉・舟橋聖一著〈愛児煩悩〉などです。
戦時中には俳句や俳画も嗜むようになった野間仁根は、得意としていた油彩画の他に水墨画(主に俳画)も描くようになりました。1945年秋に仕上げた〈迷宮物語〉などは、まさにこの時期ならではの画風ではないでしょうか。とはいえ、この頃の作品は油彩画を断絶したというわけではなく、それまでと変わらぬ心温まるユーモアもまた感じられます。
1948年には、故郷から眺めた海を思わせる作品〈瀬戸内の海〉を発表。この頃の野間仁根は、当時の人気作家・石川達三の新聞小説〈青色革命〉の挿絵を担当するなどして、更に活躍の場を広げ人気を得ていきました。
1955年になると、二科会を退会した後に鈴木信太郎・高岡徳太郎らと共に一陽会を結成。同年9月に日本橋高島屋で開催された展覧会では、〈貝殻〉〈双魚〉などを出品しました。
1958年に個展を開催して好評を得た野間仁根は、一陽会の出展をベースに様々な美術展への出品や個展の開催を実現。とりわけ1960年代後半からは、瀬戸内海を題材にしたシリーズを連作します。
動物や静物、瀬戸内をはじめとする風景など、多彩なモチーフで独自の画風を確立した野間仁根は、1979年12月30日に78歳で逝去。没年まで制作発表を続けました。
明治末期生まれの野間仁根にとって、第二次世界大戦は画風を大きく変化させる出来事でした。画家としての個性を確立していた戦前と、画壇で成功を収めた戦後では画風が大きく異なります。
上京し画家を目指していた学生時代の画風は、西洋美術の影響を色濃く受けたものでした。当時最先端だった絵画運動〈キュビスム〉などに傾倒し、作品ごとに方向性を試行錯誤していた苦心の跡が感じられます。
野間仁根の画風を〈幻想的〉と評する見方が強いのも、名前を売り出し中だった戦前の作品をまとめて表現したものです。様々なジャンルを貪欲に取り入れていった精神は、美術に対する柔軟な感性を象徴しているのではないでしょうか。
野間仁根は50歳を過ぎても尚、「自然をどのように芸術で表せばよいか」という感覚を持ち続けて制作にあたっていました。他の画家には類を見ない、独自の様式を打ち立てて人気を博した戦後の画風は、一言で表すと自由奔放でした。
「あるがままであること、自由に表現すること」。野間仁根ならではの自由闊達な精神は、年齢を重ねても生き生きと息づいていました。
野間仁根の画風を考察する上で、熊谷守一の存在は外せないでしょう。シンプルな線描で大胆に身近な自然を描いた熊谷守一に、野間仁根は10年もの間研究生として薫陶を受けていたからです。
二人が最初に直接面識を持ったのは1928年のこと。熊谷守一は野間仁根より21歳年上で、東京美術学校でも二科会においても先輩にあたる人物です。まるで仙人の様な風貌の熊谷守一は、〈超俗の人〉〈孤高の画家〉などと呼ばれていました。
二人はスケッチ旅行などで親睦を深めていき、1938年には作品発表二人展を共同開催。当時58歳だった熊谷にとっては、これが初めての展覧会でした。開催には野間仁根の強い希望があったと考えられていて、お互いに様々な次元で感化し合っていたのでしょう。
熊谷守一の影響でこの頃から日本画を描き始めた野間仁根は、作品のテーマに身近な自然物を選んだり、太めの輪郭線で大胆に対象を捉えたりといった画風の変化を見せました。
疎開中に野間仁根が俳句や俳画を嗜んだというのは前述の通りですが、これは俳人・村上壷天子の影響によるもの。愛媛県は、正岡子規や高浜虚子らを輩出した俳句のメッカですが、村上壷天子もまた愛媛の出身です。
戦争という時代背景もあり、この頃は油彩制作に関して目立った大作はあまりありません。この頃の作品は、水墨画の他に風景・魚・昆虫・草花の写生に基づく油彩画などが中心で、枯淡な印象を受ける画風でした。
これらの作品にみられる飄々とした雰囲気は、野間仁根=色紙豊かな油彩画家というイメージを覆します。この頃の写生生活が、後の瀬戸内海風景の作品を生み出すきっかけになったようです。
野間仁根にとって、とりわけ重要な題材であった魚や水生動物。新聞や雑誌の随筆に度々自らの釣りの体験談や魚の話を取り上げていたことから、無類の釣り好きとしても知られています。
野間仁根は、釣り上げた魚をその場で素早くスケッチし、それが終わると再び魚を海に還していたそうです。それだけに、魚は殊更写生的で臨場感が溢れます。魚の表情や体つきに関しても、実際の魚の特徴を的確に捉えながらもひょうきんに擬人化するなど独特でした。
1959年に発表した〈魚と釣師〉は、身近に釣れる大小さまざまな魚や魚介類をキャンバスいっぱいに描き切っています。制作年不詳の〈アコウ〉は、日本画の影響を感じさせる大胆な構図が印象的です。
晩年になると、野間仁根は故郷の瀬戸内の海や島並みの風景を繰り返し描きました。連作の瀬戸内風景の制作方法も独特で、写真や下絵もなく、東京の自宅で一気に何枚も描いていったそうです。
自然を芸術として描こうと作品を発表し続けた野間仁根が、晩年に改めて振り返るべきモチーフこそ瀬戸内風景だったのでしょう。
野間仁根の作品は全国の美術館で展示されていますが、特に故郷の愛知県にある〈野間仁根バラのミュージアム(吉海郷土文化センター)〉には多くの作品が収蔵されています。しまなみ海道の旅を楽しみながら、こうした芸術に触れてみるのも良いのではないでしょうか。
愛媛県出身の画家〈野間仁根〉の作品は、今でも根強い人気を誇り買取も積極的に行われています。特に瀬戸内海の風景を描いた作品や、花を描いた作品は人気が高いため、高価買取も期待できるでしょう。
野間仁根の作品は、人気であるが故に贋作も多く出回っている可能性がありますのでご注意を。サインは、アルファベットで野間仁根と書いてあることが多いですが、中には名を読み替えて〈jinkon〉と書かれているものもあります。他に保管用箱・黄袋・鑑定書が付いている場合は、併せてお持ちください。
絵画に限ったことではありませんが、鑑定士はその真贋を正確に見極められなければなりません。『くらや松山店』には、専門の知識を持つ鑑定士が在籍しておりますので安心して査定をお任せください。
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