
もくじ
こんにちは。ブランド品のバッグや財布、アクセサリーの買取を行っている買取専門店『くらや松山店』です。愛媛県でブランド品の買取をご希望される方は、是非『くらや松山店』をご利用ください。
今回は、フランスに本店を置くラグジュアリーブランド〈BALENCIAGA〉(バレンシアガ)の買取についてのお話です。
バレンシアガ(BALENCIAGA)は、1917年に設立されたファッションブランド。ウェアやシューズ、バッグやアクセサリーなど幅広く展開しています。フランスのブランドとして知られていますが、実は最初にオートクチュールのメゾンを構えたのはスペインでした。
バレンシアガからは、アイコンバッグともいえる〈シティ〉をはじめ、キャンバス地のトートバッグ〈ネイビー〉、フラップを配したコンパクト財布〈ペーパー〉など、様々な人気アイテムが生み出されています。
創業者は、〈クチュール界の建築家〉と称されるクリストバル・バレンシアガです。その斬新で芸術的なデザインは、ファッション界に大きな影響を与えました。
時は1895年。クリストバル・バレンシアガは、フランスに近い現在のスペイン・バスク州ギプスコア県ゲタリアで生まれました。母親は仕立てや裁縫を商いとしており、クリストバルは幼少期から母親に仕立てとドレスメイクを教わっていたのだそうです。
その後、独学で覚えたクリストバルの技術は評判を呼びます。地元貴族の夫人による援助を受けたクリストバルは、さらに仕立て技術を磨くべくマドリードへ修業に出たのでした。
修行を終え、スペインのサン・セバスティアンに最初のオートクチュールハウスを開店したのは、クリストバルが23歳のときのこと。その評判はスペイン国内で徐々に広まり、スペイン王家御用達に選ばれるほどの人気ぶりだったようです。
1933年にはマドリード、1935年にはバルセロナで新店舗をオープンさせ、クリストバルの事業のスタートは順風満帆に見えました。ところが1936年、スペイン内戦の勃発により店舗は閉鎖せざるを得ない事態に…。
1937年、新天地としてクリストバルが選んだのはフランス・パリの地でした。ジョルジュ・サンク通りに店を開き、初のパリコレクションを開催すると、たちまちパリのバイヤーから注目を浴びるようになります。クリストバル・バレンシアガの時代の幕開けです。
1946年、最初の香水コレクション〈ル・ディス〉(Le Dix)を発表。ディスはフランス語で〈10〉を意味するのですが、これは最初の店の住所から名づけられたのだそうです。この香水コレクションも、オートクチュールコレクションと同様に高い評価を獲得しました。
1940~50年代にかけては、ウエストラインを持たない樽型のシルエット〈バレル・サック〉や、無駄を削ぎ落した寸胴型のシルエット〈サック・ドレス〉など、数々のデザインが誕生。筒型のようなストレートシルエットの〈チュニックライン〉は、クリスチャン・ディオールの〈Aライン〉と共に話題を呼びました。
当時のクリストバルは〈クチュール界の建築家〉〈クチュール界のピカソ〉などと称され、ココ・シャネルに至っては、「デザインから仕上げまで、すべての工程を一人で出来る本物のクチュリエは彼だけだ」と評していたのだそう。
その後も世界の名だたる著名人を顧客にもち、クレージュやエマニュエル・ウンガロなどといった、後に活躍する弟子を多く輩出しました。他の追随を許さないその高い技術は、もはや芸術でした。
1968年にフランスで起こった社会運動〈5月革命〉の影響で、世の中の人々は贅沢や優雅というものを敬遠するようになりました。居場所が無くなったことを実感したバレンシアガは、「プレタポルテを始めるには年をとりすぎた」という名言を残し引退。
スペインに戻り余生を過ごしていたバレンシアガでしたが、1972年、77歳で生涯を閉じます。バレンシアガの閉鎖は「モードが完全に終わる」と言われたほど、ファッション業界にとって非常にショッキングなものでした。
クリストバルの跡を継いだのは、甥にあたるジャック・ボガート。バレンシアガを香水ブランドとして存続させるものの、ブランドはどんどん低迷していきました。
停滞していたバレンシアガの救世主となったのは、ニコラ・ジェスキエールという人物。1995年にバレンシアガに入社したニコラは、26歳という若さでクリエイティブディレクターに就任します。
1998年に開催された春夏コレクションでは、それまでバレンシアガが得意としていたウェアだけでなく、バッグやアクセサリーなど総合ブランドとしての新生バレンシアガを強烈に印象づけることに成功。2000年代にはエディターズバッグ〈シティ〉が大ヒットします。
ニコラ・ジェスキエールの活躍によって栄光を取り戻したバレンシアガは、伝統ある落ち着いたブランドイメージを一新し、スポーツライクなブランドへと進化していったのです。
長きに渡りバレンシアガを牽引してきたニコラ・ジェスキエールでしたが、2012年末にはバレンシアガを去ることに。後任は、アジア人として初のクリエイティブディレクターになったアレキサンダー・ワンが務めました。
2015年から現在にかけては、ファッションブランド〈ヴェトモン〉のヘッドデザイナーだったデムナ・ヴァザリアが、バレンシアガのアーティスティック・ディレクターに就任。ラグジュアリーなストリートブランドへと変貌していくバレンシアガから、今後もますます目が離せません。
バレンシアガは、買取市場においても需要の高いブランドです。ここからは、バレンシアガの中でも特に人気がある定番アイテムをご紹介していきたいと思います。
正面に〈BALENCIAGA〉のロゴがワンポイントで入ったシリーズです。主にキャンバス素材がベースとして使われていますが、現在はオールレザーなど様々な素材やカラーのアイテムが展開されています。
バレンシアガの頭文字〈B〉にピリオドを付けたモチーフが特徴のシリーズです。2019年に発表されたもので、シックで上品な見た目が注目を集めています。
シンプルで上品なショルダーストラップ付きのトートバッグです。サイズ展開が〈A4〉〈A6〉という名称であるのもポイント。〈ペーパー〉というシリーズ名に合わせた、ユニークな発想です。
正面に〈BALENCIAGA〉のロゴがワンポイントで入った、ネイビーと似たシリーズ。オールレザーをベースにしており、シンプルでスタイリッシュなデザインが多く展開されています。
バッグやお財布の買取において、お品物の状態は査定評価を左右する重要なポイントです。日々のお手入れはもちろん、買取店へ持ち込む前にチャックの淵や底にたまった埃を取り除いたり、表面を柔らかい布で優しく拭いておくと良いでしょう。
また、〈におい〉も重要です。中に防臭・防カビ剤などを入れて、風通しの良い場所に一日干しておくことをお勧めします。購入した際の保存袋や箱などといった付属品がある場合は、是非一緒に査定へお出しください。
『くらや松山店』のチラシを見て、お店に立寄ってくださったお客様のエピソードをご紹介します。ご来店時の相談内容は、遺品整理で出てきたもののお買取でした。
お話をしている最中に、お客様から「そういえば家に使わなくなったバッグもあるのだけど…バレンシアガって高く買取してもらえるの?」とご質問がありました。そして、遺品整理も兼ねて後日出張買取でお客様のご自宅へお伺いすることに。
当店の鑑定士が実際にバレンシアガのバッグを拝見すると、バッグにはお客様がご愛用されていたことがわかる使用感が感じられました。『くらや松山店』では、使い込んだ状態のブランド品もお買取可能です。
「今まで買取店を利用したことがなかったけど、遺品整理をきっかけに利用してみて良かった」と、お客様にもご満足いただけたご様子。「お気に入りでたくさん使ってしまったから、値段なんてつかないのでは…」とお悩みのお客様も、お気軽にご連絡ください。
思い入れのある大切なお品物だからこそ、そのまま捨ててしまわずに、必要としている次の人に使ってもらいましょう。『くらや松山店』では、ブランド品のバッグやアクセサリー、財布、時計など幅広くお買取しております。
遺品整理や生前整理、お片付けの際も是非ご相談ください。『くらや松山店』に在籍する買取経験が豊富なプロの鑑定士が、しっかりと丁寧に査定いたします。相談・査定・出張費用は無料です。
お客様からのお電話・ご来店を心よりお待ちしております。
↓↓ くらや 松山店はこちらです ↓↓
愛媛県今治市でバッグや財布、アクセサリーなどブランド品の高価買取
今治市周辺の出張査定、出張買取も対応いたします!!
〈対応エリア〉
松山市、今治市、新居浜市、西条市、四国中央市、越智郡上島町、伊予市、東温市、久万高原町、松前町、砥部町、宇和島市、八幡浜市、大洲市、西予市、内子町、伊方町、松野町、鬼北町、愛南町、大島、伯方島、大三島、生口島、因島、弓削島、広島県尾道市、広島県三原市
などにお住いのお客様は出張買取も対応しています!!
店舗:くらや 松山店
住所:愛媛県松山市天山1丁目13-5 イオンスタイル松山3階
電話:089-950-4334
営業時間:10:00~19:00
定休日:なし