- 骨董品佐賀店2021/03/05
骨董品・美術品、遺品整理の高価買取
もくじ
こんにちは。有田焼や伊万里焼などの焼き物をはじめ、骨董品の買取を行っている買取専門『くらや佐賀店』の丸山です。佐賀県は全国有数の焼き物の産地であり、陶磁器をお持ちの方は少なくありません。中でも抹茶・煎茶などの〈茶道〉を嗜まれていた方の元には、たくさんの茶器が残されている場合も。
先日、『くらや佐賀店』に遺品買取のご相談がありました。ご依頼人は、お母様が亡くなり遠方からご実家の片付けに来られているとのことでした。
お客様ご自身はあまり興味を持たれていない〈焼き物〉がたくさん遺されていて、価値があるか分からず当店へお問合せくださいました。お母様は所謂趣味人で、「何か値段が付くものがあれば」というお気持ちでご連絡くださったのだそう。
査定を希望されたお品物には、大正時代の酒瓶や獅子の陶器人形、色鍋島の花瓶、金襴手の大皿などの他に、大きなブリキ板で作られた衣装ケースがありました。衣装ケースの蓋を開けてみると、そこには少々古い焼き物の木箱が…。
木箱には〈茶碗〉と書かれており、中には50年以上前の煎茶碗が入っていました。一つ一つ確認していくと、〈十二代酒井田柿右衛門〉の煎茶碗、〈十三代酒井田柿右衛門〉の湯呑と、当時購入された際の控えを発見。
その他、萩焼の煎茶碗や常滑焼の急須など、状態が良好なお品物が多く査定結果は高評価となりました。お客様は、これらの陶器類だけはリサイクルショップではなく、専門の知識を持つ鑑定士がいるところで売却したいと思われていたそうです。
特に陶磁器においては、制作された年代や焼かれた窯など一見して見分けがつきません。日用品として作られた茶碗も、作品として焼かれた茶碗も、同じ様な木箱に入れられ同じように墨書きがされているため混ざってしまうのです。
箱書きが読めない・陶印が読めない・箱が無いお品物は、正しい評価が出来ないという問題も起こり得ます。箱の中身が入れ替わってしまっている場合などは、正しい箱に納めることが必要です。
『くらや佐賀店』では、焼き物に関する専門の知識を持った鑑定士が、1点1点丁寧に査定し買取を行っております。陶磁器の売却でお困りの方は、『くらや佐賀店』へ一度ご連絡ください。
日本で初めて磁器を生産したことで知られる焼き物です。1600年頃、佐賀県有田周辺や長崎県の波佐見で焼かれた磁器は〈伊万里港〉から輸出されていたため、この時代の焼き物はまとめて〈伊万里焼〉と呼ばれています。
有田地域で焼かれた物を〈有田焼〉、伊万里地方で焼かれた焼き物を〈伊万里焼〉と呼ぶようになったのは、陸路での輸送手段が主となった明治以降のこと。良く耳にする〈古伊万里〉は、江戸時代に焼かれていた〈有田焼〉〈伊万里焼〉を指します。
初期の有田焼は、生地に呉須で図案を描き釉薬をかけて焼成する〈染付〉と呼ばれるものでした。白地に紺で描かれたお皿や壷など、一度は目にしたという方も多いのではないでしょうか。
17世紀後半頃には、〈柿右衛門様式〉と呼ばれる器が多く焼かれ、海外へ輸出されました。柿右衛門様式の特徴は、暖色系の色彩で花鳥図などが描かれ、乳白色の余白がたっぷりとあることです。17世紀末期になると、豪華絢爛な色絵付けの磁器〈金襴手〉が流行していきます。
17~19世紀にかけて焼かれた高級磁器〈鍋島焼〉なども有名です。鍋島焼は、当時の将軍家や諸大名への献上品として佐賀藩直営の藩窯で焼かれていました。
1596年から有田で続く〈酒井田柿右衛門窯〉は、佐賀県で最も名の通った窯元。最盛期には柿右衛門様式の器が海外でも高く評価され、〈マイセン〉や〈景徳鎮〉でも模倣されるほどでした。当時輸出された柿右衛門様式の器には、現在美術館に収蔵されているものもあります。
柿右衛門の作品は、その需要の高さから〈本人作〉だけでなく〈工房作〉が多く流通していることも特徴と言えるでしょう。工房作は作家の名を冠した工房で作られた作品で、本人作のものよりも安価な価格です。
柿右衛門作品を正しく評価するためには、〈本人作〉なのか〈工房作〉なのかを見極める必要があります。作品の裏に、染付で〈柿右衛門〉と銘があるものは〈工房作〉の作品です。本人作の作品には銘がなく、共箱に〈濁手〉と記されています。作品だけではなく共箱からも様々なことが判断できる場合もありますので、お持ちの方はご一緒にお持ちください。
柿右衛門窯では主に、花入・花瓶・皿・和食器・洋食器・香炉などが制作されているのですが、陶器人形などが焼かれたこともあります。古い時代の柿右衛門作品は、その価値に気付かれずリサイクルショップなどで安価に買取をされてしまう事例も…。一度専門の知識を持った鑑定士に確認されることをお勧めします。
廃藩置県により一度途絶えてしまった〈鍋島様式〉を復興させたのは、9代目今泉今右衛門です。藩窯時代は、下絵付けと窯焼きは伊万里の大川内で、絵付けは赤絵町で分業を行っていましたが、10代今右衛門は一切を自家工房で作成するようになりました。
10代・11代・12代にかけ江戸期色鍋島の復興に成功し、その技術は1971年(昭和46年)に国の重要無形文化財保持団体の認定を受けることに。現代の色鍋島として、〈吹墨〉〈薄墨〉〈緑地〉の技法でも重要無形文化財として認定を受けています。主に焼かれているものは、花瓶・壷・皿・和食器・洋食器などです。
窯業の家系に生まれ、父の勧めで酒井田柿右衛門窯に就職した〈井上萬二〉。修行7年目に初代奥川忠右衛門の白磁に衝撃を受け、門下生となりました。
柿右衛門窯を退職した後、窯業試験場の技官として技術の研鑽を行い、〈重要無形文化財 白磁〉の認定を受けたのは1995年のこと。鮮やかな色彩を持つ有田焼の中で、白磁にこだわり制作を続けている井上萬二の作品には全国にファンがおり、広く愛されているのです。
後年は白磁だけでなく、白磁緑釉や青白磁の作品も焼かれています。制作物は壷・花瓶・皿・和食器などが主です。国内外に教え子を多く持ち、中尾恭純・照井一玄・藤井錦彩など、現在も一線で活躍される多くの作家が師事経験を持ちます。
小野琥山の息女で、〈佐賀県無形重要文化財 陶芸釉裏金彩〉の保持者としても知られる〈小野伯子〉。加藤土師萌の釉裏金彩に衝撃を受け、その後研究に没頭します。失敗を繰り返しながらも技術を高め、その作品は海外の美術館にも収蔵されるほど国内外でも評価が高いです。
〈佐賀県重要無形文化財 陶芸釉裏金彩〉の保持者として認定されたのは1992年(平成4年)のこと。1996年(平成8年)に逝去されましたが、現在はご子息一家で作陶を続けられています。
細かな作品もたくさん作られており、実用品と作品では全く異なる価値となるのが特徴です。壷・花入れ・皿などの他にも、茶碗・水指・蓋置・煎茶碗といった茶道具も多く作られています。
〈初代奥川忠右衛門〉は、有田焼大物成形ろくろ師です。蹴ろくろの名人として名高く、佐賀県の重要無形文化財や国の選択無形文化財保持者に指定されました。
初代奥川忠右衛門の長男である二代目奥川忠右衛門も、白磁を主とした作品を多く制作した人物です。その白磁の技術は、初代奥川忠右衛門の養子である〈奥川俊右衛門〉が引き継ぎ作陶されています。
主な作品は、花入・酒器・猪口・徳利など白磁が映える日用品から、彫紋を施した流麗な白磁の花瓶など。その卓越したろくろの技による造形的なフォルムは高い支持を集めています。
■伊万里陶苑 澤田痴陶人
■高麗庵清六窯 中村清六
■藤井勝雲窯 藤井勝雲
■金龍窯 江口天童
■葉山有樹窯 葉山有樹
■朱明窯 藤井朱明
■視行窯 池田視行
唐津港から積み出される〈唐津焼〉は、佐賀県や長崎県の各所で焼かれている伝統工芸品です。現唐津市の他にも、武雄市・有田市・伊万里市・長崎県平戸市などでも焼かれていた痕跡があります。有田焼や伊万里焼のような石の粉で作る磁器ではなく、唐津焼は土をこねて作る陶器が主でした。
千利休の所持していた茶道具の中にも、唐津焼の一種である〈奥高麗茶碗〉があったのだそう。古くから茶陶の評判が高かったことが窺えます。〈一萩二楽三唐津〉という言葉をご存じでしょうか?茶の湯の世界において、茶人が古くから好んだ抹茶茶碗の順番です。
時代によって様々な手法で焼かれた唐津焼ですが、現在まで作り手の数は増加しています。歴史や伝統を踏まえながらも、それぞれの作風により新しい唐津焼が生まれ続けているのです。
12代中里太郎衛門は、11代中里太郎右衛門の次男として生まれ、32歳の時に襲名しました。〈重要無形文化財 唐津焼〉の保持者です。
明治維新により佐賀藩の庇護が無くなった唐津焼は、同時期に台頭してきた有田焼などの磁器に押され、廃窯になる窯元が多数出ました。その様な状況の中、〈叩き作り〉などの技法を主とする伝統的な〈古唐津〉を復古・再生させた人物が、12代中里太郎衛門です。
13代中里太郎衛門に家督を譲った後、〈中里無庵〉を名乗った12代中里太郎衛門は、素晴らしい茶器を多数作成しました。現在、その技術が継承されているのは14代中里太郎衛門です。
古唐津技法を使った〈叩き唐津壷〉〈茶道具〉〈煎茶道具〉をはじめ、中里太郎右衛門陶房では茶碗や湯呑などの日用品も多数焼かれています。
12代中里太郎衛門の三男である〈中里重利〉の窯です。人間国宝だった父に幼少期から師事し、43歳の時に独立し自身の窯を構えました。それが〈三玄窯〉です。1952年(昭和27年)の日展入選を始め、国内外のコンクールへ出品を重ね高い評価を受けました。
隆太窯は、12代中里太郎衛門の五男である〈中里隆〉の窯。中里隆は〈種子島焼〉の復興に一役買った人物でもあり、また唐津焼に種子島焼の特徴を加えた〈唐津南蛮〉の技法を生み出したことでも知られています。
古唐津の復興に尽くした〈西岡小十〉の窯です。古唐津の陶片を収集し、その研究から〈絵斑唐津〉や〈梅花皮唐津〉の復元に成功しています。
福岡県には、〈遠州七窯〉に数えられる焼き物の産地があるのですが、ご存じでしょうか?遠州七窯とは、江戸時代中期の大名茶人〈小堀遠州〉が自分好みの窯として、注文を付けて茶器を焼かせたと伝わる七つの窯のことです。
由来通り、現在でも茶器などが焼かれています。
上野焼(あがのやき)は、福岡県田川郡で焼かれている焼き物です。生地が薄く、軽量であること、絵付けを行わないことが特徴で、様々な釉薬を用いて窯変を作り出します。
江戸期に焼かれた上野焼もたくさん残っており、茶の湯の世界においては珍重する茶人も多いです。
高取焼(たかとりやき)は、福岡県朝倉郡東峰村で焼かれています。元々は直方市にある鷹取山の麓で焼かれていましたが、朝鮮出兵の際に黒田長政が陶工〈八蔵重貞〉を連れ帰り焼かせたのが高取焼の始まりなのだそう。
江戸期には黒田藩の御用窯として繁栄し、小堀遠州との縁で遠州好みの茶器を多く焼くようになりました。現在も小堀遠州を流祖とした遠州茶道宗家の指導の下、一子相伝によりその伝統が受け継がれているのです
日常使いの器でありながら〈用の美の極致〉と賞された小石原焼。美術品ではなく、あくまで実用を重視した焼き物を続け、思想家の柳宗悦やイギリス人陶芸家バーナードリーチらに絶賛されました。
昭和33年にブリュッセルで開かれた万国博覧会では、グランプリを受賞。その後も〈用の美〉を崩さず、日用品を作り続けています。
福岡県の小石原焼と兄弟関係にある窯で、現在も機械を使わず全行程が手作業であることが特徴です。その技法は重要無形文化財に認定され、周辺の地域全体が重要文化景観として指定されています。
小代焼(しょうだいやき)は、熊本県荒尾市で約400年前から焼かれている陶器です。筑前から転封された細川忠利が、陶工を従え小岱山麓に登り窯を開いたのが始まりとされています。
一時期、有田の磁器類におされて廃窯となっていましたが、昭和期になり復興を遂げた小代焼。小岱山麓には戦後から複数の窯が築かれ、2003年には経済産業省指定伝統的工芸品に指定されました。
薩摩焼は、鹿児島県全域で焼かれる陶磁器です。〈白薩摩〉といわれる陶器と、〈黒薩摩〉と呼ばれる雑器に分類されます。
白薩摩は元来〈苗代川焼〉と呼ばれており、藩主向けの御用窯で焼かれていた豪華絢爛な色絵磁器です。一方、黒薩摩は大衆用の日用品。鉄分を多く含む土を使用して焼かれた陶器は黒く染まります。
〈重要無形文化財 琉球陶器〉保持者である〈金城次郎〉の名でよく知られる焼き物です。金城次郎は、沖縄で初めて人間国宝に認定された人物で、終戦後の1946年に壺屋に窯を築きます。
沖縄本島における陶器の産地と言えば〈壺屋焼〉と読谷村の〈読谷山焼〉。壺屋の陶工達が1970年代に移り住んで築窯したのが読谷山焼の始まりです。
壺屋焼の技法は、無釉焼き締めの荒焼(アラヤチ)・素焼きの赤色土器である赤物(アカムヌー)・施釉陶器である上焼(ジョウヤチ)の3つに大別されます。とりわけ荒焼は日用品に用いられ、また沖縄の魔除けで知られる〈シーサー〉の多くも荒焼です。
陶磁器を評価する場合、鑑定士は「いつの時代に作られたか」「どの窯で焼かれたものか」「どの作家の作品であるのか」をはじめ、作品の出来栄えや傷の有無、箱の有無、箱の書付などを確認します。
「木箱ではなく紙の箱に入っているから価値はないだろう…」と仰る方もいますが、箱の中身が違っている場合などもよくあるのです。実は価値があったお品物を「リサイクルショップにまとめて持ち込んでしまい失敗してしまった」というお話を聞くことも多々あります。
焼き物の産地と呼ばれる佐賀県だからこそ、価値のある焼き物はたくさん眠っているのです。どれほどの価値があるのか分からず、手放すことをお考えの焼き物や骨董品は、処分される前に一度『くらや佐賀店』までお声かけください。
「量が多すぎて持って行けない」「大したものではないので持ち込んでよいのか悩む」「持って行くには大きすぎる…」などといったお悩みをお持ちのお客様へは、出張買取も行っております。出張費用・相談費用は無料です。
お客様のご来店やお電話でのお問合せ等、心からお待ちしております。
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