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伝統こけし~蔵王系~その歴史と特徴

最古の伝統こけし

木地師制作の最古のこけしは、称徳天皇即位の時代(718年~770年)に作られた、4種類の陀羅尼経(だらにきょう)を納める容れ物の「塔婆(とうば)」であるとの説が学術分野の認識で一致しています。

 

陀羅尼経とは、サンスクリット語の経文を語音そのままに音写したものです。この「塔婆」が作られたのは、100万個という膨大な数なので、「百万塔」という別名もあります。

 

伝統こけし工人-木地師の誕生

平安時代に清和天皇の第一王子である惟喬(これたか)親王が近江国愛知(えち)郡小椋谷で、ろくろ挽きの技術を人々に伝授したのが、木地師誕生のきっかけとの説が広く知られています。

 

惟喬親王は現在でも、こけし工人や伝統こけしに関係した人たちの間で「伝統こけしの祖」として崇め奉られ続けています。

 

伝統こけしの始まり

江戸時代の末期、東北各地の山あいの湯治場、温泉地で木地師は食器の木工制作を生業としつつ、その木彫り後に残る端材を活用して、男児と女児にそれぞれ独楽や「きぼこ(こけし)」などの木地玩具を作りました。

 

それから次第に、こけしは大人にも受け入れられて美術工芸品に発達していったのです。

 

山形県の伝統こけし

山形県内の歴史の古いほとんどの家には、昔からの風習として伝統こけしが飾られています。

 

伝統こけしの系統は現在、東北地方の6県に11種類あります。

 

11系統のうちの3系統は山形県内が拠点になっています。その3系統とは山形系、蔵王系、肘折系です。

 

蔵王系伝統こけしの特徴

蔵王系こけしは、長い歴史のある湯治場、温泉地として広く認知されている蔵王温泉で作られてきました。

 

「頭部におかっぱ頭が描かれたのは、蔵王系こけしが最初である」という説もあります。

 

この蔵王系こけしは、遠刈田系こけしを源流として、その特徴を色濃く反映させて発展したと言われています。

 

蔵王系こけしの特徴は、頭部は差し込み式で大きく、その描彩は赤い放射状の髪飾りやおかっぱ頭、あるいは前髪・鬢髪(びんぱつ)が描かれている物です。

 

胴体はどっしり太く、腰がくびれている物もあります。胴体に描かれた模様は桜崩しや牡丹、重ね菊などで、色合いは華やかです。

伝統こけし~肘折系~その歴史と特徴

土産物として人気が定着している工芸品の伝統こけし。

 

作られているのは東北地方の6県だけです。

 

古くから湯治場として栄えてきた温泉地を拠点にして、こけし工人がその土地ごとのこけしの個性的な様式を発展させて確立し、その伝統を現代まで守ってきました。

 

10系統あると言われる伝統こけしの中で、今回は「肘折系こけし」の歴史と特徴についてお伝えします。

 

肘折こけしのふるさと肘折温泉

肘折温泉は出羽三山のうちの月山の麓、山形県大蔵村にある古くからの湯治場です。開湯は807年という記録があります。

 

「肘折」という名称の由来には、老僧が肘を骨折した際に、当地の上の湯に浸かってみると、すぐに傷が癒えたという説を主流として諸説あります。

 

肘折系こけしの祖

肘折こけしの開祖は初代 柿崎伝蔵という、肘折の木地師です。

元の名を八鍬酉蔵(とりぞう)と言いました。

 

文政8年(1825年)に山形県大蔵村肘折で誕生。12歳の頃、天保の大飢饉の折に隣の柿崎伝蔵の一家が離村して空き家となったため、村の相談によって家督と姓名を継ぎました。

 

結婚後に宮城の鳴子で木地師として修業し、肘折に戻ったのち、明治10年頃に開業したと言われています。

 

肘折系こけしの確立~2つの系統を内包~

山形県村山の井上藤五郎は明治13年に柿崎伝蔵の弟子になリました。

 

伝蔵の元で学んだのち、明治20年に宮城の遠刈田(とおがった)に赴き、ろくろ師、こけし工人の佐藤周治郎に就きます。

 

そこで新しい足踏みろくろを使った加工技術を学んだのち、肘折の伝蔵の元に戻り、伝蔵と共に従来の肘折こけしらしさに遠刈田の様式を融合させて、肘折系こけし様式の主流を完成させました。

 

そしてその流れとは別にもう一つ、遠刈田から肘折に移り住んだこけし工人の佐藤周助の作品が端緒となったこけしも「肘折こけし」と呼ばれています。

 

この2つの系統を総称して「肘折系こけし」と呼ばれています。

 

肘折系こけしの特徴

肘折系のこけしの様式は、120年以上前から忠実に継承され続けています。

 

形状は鳴子系と言われています。

 

胴部は太めの円柱形、肩には段が入っています。

 

頭部と胴部は分離しているものを精巧な技術によって嵌め合わせているので、まるで一体のように見えます。

 

大型の物は子供客を意識して、頭部をくり抜き内部に空洞を作った上で、中に小豆を入れて振ると音が鳴るようにできています。

 

描彩は遠刈田系と言われています。

 

服の地色は黄色で、模様は撫子や重ね菊などの草花模様です。

 

頭には髪とともに放射状に広がる手絡が塗られています。

 

肘折系こけしを伝えてきて

原型を丹念に今に伝える肘折系こけしに興味が湧きましたら、ぜひお店にお立ち寄りになることをお薦めします。

 

 

伝統こけし~木地山系~その歴史と特徴

「木地山系」と呼ばれる秋田県の「こけし」が伝統工芸品の中で「逸品」という評判の一角を占めています。秋田産ならではの素朴のうちに気品も漂うこけしです。ここではこの「木地山系こけし」の由来と特徴をお伝えします。

 

こけし職人の起源とは

こけしを作る手工職人は木地師(きじし)から派生したというのが定説です。木地師とは、山に入ってケヤキやトチ、ブナなど、木材を切り出して加工し、木地(きじ)、つまり何も塗らない生地のままの木材で、お椀やお盆などの木製品を作る木工職人のことです。轆轤(ろくろ)を使うので、ろくろ師と呼ばれることもあります。

 

木地師の起源は9世紀、平安時代に生きた「悲劇の皇子」、惟喬親王(これたかしんのう)の活動であると言われています。惟喬親王がろくろ技術を日本で普及させたからです。そして彼は「木地師の祖」と称されるようになりました。

 

木地師について

木地師の発祥の地は旧名、近江の滋賀県です。詳しくは滋賀県愛知郡小椋村、現代の滋賀県東近江市の一部であると言われています。木地師は日本中の山々を渡り歩きながら、ろくろ技術を使って木工品を作るのをなりわいとしていました。

 

やがてほぼ全国に散らばって各地で定住するように。今でもその地には名残があります。木地山、木地畑などの地名や、小椋、筒井、小倉の姓が残っているのです。

 

木地山系こけし作りの始まり

木地師が作る元々の木工品の種類は盆や椀などの調度品でした。木地師たちの中で東北地方の温泉地にやって来た人たちは、江戸時代の文化文政の頃に人々の温泉利用が広まるうちに、その温泉地を拠点にしながら温泉保養客を目当てに木地玩具を作って売り物にして出すようになりました。これが木地山系こけし作りの始まりと言われています。

 

「木地山系こけし」を短く紹介すると

「木地山系こけし」とは秋田県のこけしのことです。かつての秋田県雄勝郡皆瀬村、今の湯沢市の一部の木地山で小椋氏を中心として作られてきました。使う木材の種類は桜やミヤギミズキ、イタヤカエデなどです。

 

木地山系こけしの特徴

 

木地山系こけしの外観の特徴は、下の通りです。
・頭はらっきょう型、胴はずんぐり型
・頭と胴が一体になっている
・菊や梅花や縦縞模様の前垂れ姿
・髪は前髪とびんだけ、又はおかっぱ
・赤い髪飾りが前髪に付いている

 

全身から受ける印象の代表は「素朴」です。木地山系こけしは腰に前垂れを掛けているのが大きな特徴なので「前垂れこけし」という通称もあります。この前垂れの模様は、初めは菊の花の簡単な紋様だけでした。

 

木地山系こけしの魅力を伝えてきて

魅力があって、静かな人気の続く「木地山系こけし」。機会がありましたら、どうぞご覧になってください。表情も1体ずつ個性がありますので、顔を見比べるだけでも楽しめますよ。

 

小椋久太郎氏は「現代の名工」と言われ、ずんぐりした胴、作り付けの首、前垂れに梅の花模様をあしらった「木地山こけし」は素朴ながら気品を備えています。

 

 

TOMY(トミカ)のミニカーはお宝!?

TOMY(トミカ)のミニカーはお宝かも!?

ミニカー (和製英語) は、自動車をさまざまな素材、縮尺でモデル化した玩具・模型の総称となっており、 安価なものは子供の玩具として用いられ、高価格帯のものは大人の鑑賞用としても用いられています。素材は亜鉛合金製が最も多い。スチロール樹脂製のプラモデル、金属製キットなどの組み立て式の自動車模型やラジコン、スロットカー等自動走行機能を持ったものを広くミニカーに含める場合もあります。かつては模型店や玩具店で購入する事が一般的でしたが、近年は専門店や家電量販店での発売も増えつつあります。また、観賞用ケースに入った状態や分冊百科として書店などで販売されたり、コンビニエンスストアなどで飲料のおまけとして販売される例も多く、流通経路も多様化しています。

 

ミニカーの代名詞ともいえる「トミカ」は、昭和45年からタカラトミー(旧・トミー)のTOMYブランドより販売されている車玩具です。トミカが発売された当時、国産車のミニカーといえばダイヤペット(米沢玩具→現・アガツマ)やモデルペット(アサヒ玩具)に代表される標準スケールが中心であり、小スケールミニカーは細々と輸入される海外ブランドしか存在しませんでしたが、この状況に目をつけ、国産車の本格的小スケールミニカーとして発売されたのがトミカである。日本初の国産ミニカーとして、その精巧なモデリングと、扉の開閉、タイヤの稼働などプレイバリューの高さから、世界30カ国以上で愛されている大ヒット商品です。これまでに販売されてきた商品ラインナップは数知れず、世界中でコレクターも多く、日本製の黒箱・青箱、レアリティの高い限定品や少数生産品、ホンコントミカなど、絶版・レアなアイテムの中には驚きのプレミア価格で取り引きされていることもあります。また、販売時期やカラーリング(塗装)によっても価値が変わり、奥深いコレクションアイテムです。

 

昭和45年に発売され絶大な人気を博したトミカは、翌昭和46年、予想以上の需要と急速な品番拡大に対応するため、香港へ下請け生産に出されました。これらが「ホンコントミカ」と呼ばれるもので、ホンコントミカには、ホンダNⅢ360・カローラスプリンター1200SL・カペラロータリークーペ・ギャランGTO-MR・セドリック・ダットサントラックの6車種があります。ホンコントミカは、モデルの出来や塗装の品質が国内生産のものと比べ劣っており、トミーが早々に生産を取りやめ、金型を引き取ってしまったためどれも生産数が少なく、大変貴重なものとなりました。うち、カローラスプリンター1200SLやダットサントラックについてはカラーリングを変えたり、金型を改修したりし日本で再生産されましたが、カペラロータリークーペ・ ギャランGTO-MR・セドリックは金型が破棄されてしまい、ホンダNⅢ360は金型が紛失したと言われており、この4台は再生産されることなく、現在に至っています。
ホンコントミカの特徴は、塗装がやや厚ぼったく艶があまりない、特有の1Bというタイプのホイールを履いている、テールランプが着色されている、ハンドルがやたら大きく、箱には「Made In Hong Kong」の記載があります。

懐かしの「ソフビ」の玩具(おもちゃ)

懐かしの「ソフビ」の玩具(おもちゃ)の歴史と概要

日本では、ノベルティグッズやアクションヒーロー、アニメのキャラクターなどソフビ人形が1950年代以降、数多く出回ってきました。
ソフビは、ソフトビニールの略で正式名称は「PVC(ポリ塩化ビニル)」。本来はポリ塩化ビニル一般を指す言葉ですが、「ソフビ」と言った場合はスラッシュ成形という製造方法で加熱し、金型に流し込んで成型された製品のこと。また、おもちゃで「ソフビ」といえば、ソフトビニール人形(ソフビ人形)のことを指します。
ポリ塩化ビニルを用いる以前は、人形の素材にはセルロイドが多く使われていましたが、その可燃性の高さから危険性を指摘され、1955年にアメリカで可燃物質規制法が成立し、日本のメーカーは玩具をアメリカに輸出できなくなりました。その代わりの素材としてポリ塩化ビニルが選ばれ、ソフビ人形が数多く生産されるようになりました。

 

ソフビは主に間着と呼ばれる接合法が用いられ、くびれを設け回転可能な関節を形成します。ソフビは子供用の玩具として開発されたものであるため、子供が多少手荒に扱っても壊れにくく、簡単には外れたり破損したりしない接合法で作られており、丈夫な品質も玩具としての評価が高い要因であり、ソフビの利点であると言えます。
ソフビといえば怪獣ものを指しているケースが多くありますが、ソフビは元来、幼児や女児向けの人形に使われていました。1966年にマルサン商品が販売した「ウルトラQ」や「ウルトラマン」に登場する怪獣のソフビがブームに乗って大ヒットしたことから、以後は怪獣や歴代のウルトラマン・仮面ライダーなどの男児向けのキャラクターも含めて玩具として定番の商品となっています。また、女児向けの着せ替え人形も長年ソフビで作られており、現在ではソフトビニール素材がポピュラーです。

 

怪獣やヒーローのソフビはコレクターに高い人気があり、ゴジラやガメラなどの映画怪獣のほか、ウルトラマンや仮面ライダー、スーパー戦隊などのテレビシリーズの特撮ヒーローものはコレクター向けに高値で取引されています。

 

世界では古い日本アニメが数多く放送されており、日本ではかつての人気はなくなった怪獣や特撮ヒーローなどは海外の視聴者にとって今でも非常に夢中になるもので、そのソフビ人形は人気を博しています。ガチャガチャの商品として出てくる小型のソフビ人形も人気がありますが、海外ではかつてのソフビ人形も人気があります。
ソフビ人形は、世界中で愛好家・コレクターの多いジャンルで、有名なものとしてはマルサン商店のウルトラマンシリーズの怪獣、ブルマァクの怪獣ソフビ、タカトクのソフビ人形、バンダイの怪獣ソフビなどがあります。また、浅草玩具の手踊りソフビ人形、ポピーのジャンボマシンダー、マスダヤ(増田屋)のトーキングソフビ、中嶋製作所のソフビ人形などもコレクターに人気があります。

人気!「ブリキ」製おもちゃの歴史

人気!「ブリキ」製おもちゃの歴史と概要について

コレクターズアイテムとして高い人気を持つブリキのおもちゃ。
最近ではマニアでなくとも部屋のオブジェとして飾られたり、美術のモチーフにされたりするなどその魅力は多くの人の心をとらえています。

 

ブリキは、錫(すず)をメッキした鋼板で、加工しやすく錆などの腐食を防ぐようにした素材で、玩具として丈夫で耐久性にも優れています。
日本でブリキのおもちゃが登場したのは明治で、当初は外国の模倣に過ぎませんでした。しかし、次第に日本独自の優れたおもちゃが開発されます。第一次世界大戦まではドイツがブリキおもちゃの世界一の生産量を誇っていたが、ドイツが敗戦したため、欧米を中心に当時の新興国である日本へ世界からの注文が殺到し、ブリキのおもちゃは日本を代表する輸出品となっていきました。その後、日本も戦時中は、ブリキのおもちゃの製造やアメリカへの輸出が禁止され、製造は停滞したが戦後になり、日本の玩具メーカーは、米軍の残した空き缶を再利用するなどして、ブリキおもちゃの製造を再開しました。
全盛期は戦後1950年代から1960年代で、この当時に製作されたブリキのおもちゃは日本人らしい丁寧な造作と形状のユニークさ、可愛らしさなどで世界的に評価が高く、稀少価値の高いものや保存状態の良いものは高価な値段で取引されています。

 

主なメーカーはヨネザワやブルマァク、野村トーイ、マスダヤ(増田屋)などで、ロボットや人物、乗り物などの郷愁をそそるデザインや造形には現在でも根強いファンがいます。

 

日本は高度成長期に入ると、人件費の高騰や素材として安価なプラスチックの主流化や技術的に進歩したダイキャスト(合金鋳型)に移行し、徐々にブリキのおもちゃの製造が減少しました。しかし、現在でもビリケン商会などが高品質のブリキのおもちゃを製造しており、ブリキおもちゃ文化を継承しています。
戦後直後の日本のデザイン文化を今に伝え、現在では見ることのできない愛らしさや味わいを感じさせる貴重なアイテムとして、ブリキのおもちゃは高い評価を受けています。

 

日本国内ではブリキの板をロボットや自動車・電車・船舶・航空機など乗り物のような形に成形・塗装した玩具を「ブリキのおもちゃ」と呼び、大きく分けるとゼンマイ式と乾電池で動くタイプがあります。
乾電池で動くタイプのブリキのおもちゃの価値はまずきちんと動くかが重要です。この状態の次は、稀少性。そして最後は需要となります。年代はあまり価値に関係がありません。
他にもクロスオーバーと呼ばれるものがあり、例えばサンタのバッテリー貯金箱などは、サンタコレクター、バッテリー・トイコレクター、貯金箱コレクターの3分野から需要がありその価値は上がります。

「超合金」玩具(おもちゃ)の歴史

「超合金」玩具(おもちゃ)の歴史と概要

1974年発売の大ヒット商品「超合金 マジンガーZ」からスタートしたダイキャストを使用した玩具シリーズ。

1970年代に少年期を過ごした世代にとって、もっとも思い入れの強い玩具が「超合金」であり、ダイキャストを含む複合素材による重量感・光沢・存在感に加え、発射・合体・変形などキャラクターに応じたギミックを搭載。そのコンセプト・デザイン・アクション性は「超合金」というトイカテゴリーを生んだ、玩具のパイオニアシリーズです。

 

その記念すべき初号機が、1974年に発売されたロボットアニメの金字塔「マジンガーZ」でした。当時の少年たちは、合金トイのリアルさや重さに圧倒されると同時に、スイッチを押すとロケットパンチが発射できるギミックにも酔いしれた。第1期に発売されたマジンガーZには、劇中の設定にはない胸部ミサイルも搭載されていたが、こちらをブレストファイヤー代わりに使い、手遊びする楽しみを広げていきました。
その後は短期間で造形やギミックをブラッシュアップし、グレンダイザーやライディーンといった時代を象徴するロボットをリリース。1976年にガイキングで初の変形・合体を実現すると、それからは破竹の勢いで進化を遂げて行きます。  合金トイ時代を創造したビッグブランドだけに、ノスタルジーをともなう当時物の価値は高く、初代マジンガーZの美品には高値がつけられています。  破格をものともせずに収集するコレクターが多数いることも超合金の実力の証でしょう。

 

初の超合金ロボットとして誕生したマジンガーZですが、新商品が販売されるなど非常にコアなファンを獲得しており、昔は遊ぶ目的で使用されていたが、コレクションとして集めるといった人も多く存在し、少しサイズが小さいものも販売されています。
マジンガーZの超合金シリーズは、非常に多く存在し、最初は従来のロボット玩具の概念を壊す勢いで、重量感を感じさせるようなロボットを作るということを目的に作られました。そこから初の超合金ロボットが作られ、かなり重量感のあるものとなりました。しかし、重さ故の欠点があり、子供が遊ぶことができなくなり、少し重量感をなくし子供でも遊べるようなロボットに生まれ変わりました。
ミニサイズから、大人が持っても十分な大きさのビックサイズのマジンガーZが存在しており、40周年では特別なスタイルのマジンガーZが販売されました。
超合金は、他にも存在しますがマジンガーZはリアルさを追求しており、作中に出てくるリボルバーや装甲品の数々を細部まで再現されており、普通の超合金ロボットとはひと味違います。
リアルタイムでマジンガーZを見ていた人にはたまらない仕上がりになっています。

「リカちゃん人形」の歴史と希少価値

「リカちゃん人形」の歴史と希少価値について

リカちゃん人形は、日本の事情に見合った大きさのドールハウスと、それに合ったサイズの独自の着せ替え人形としてタカラ(現・タカラトミー)が企画・開発をし、1967年の7月4日に1体600円で発売が開始されました。人形だけでなく、リカちゃんを運びそこで遊ぶことも出来る「ドリームハウス」(980円)も同時に発売されました。

 

リカちゃん人形の企画にあたっては、日本の女の子たちにより身近に感じられるようなファッションドールというテーマが掲げられ、小学5年生という設定と小さな女の子の手の平に収まる身長21cmという大きさで作られており、アメリカのバービー(マテル社)やタミーちゃん(アイデル社)と比べると小さめに作られています。
また、当時流行していた少女漫画のヒロインのような顔立ちが採用され、「リカちゃん」という名前は月刊少女漫画雑誌「りぼん」の1967年7月号誌上の一般公募で決定されたことになっていますが、実際には発表号をずらして読者ではなくタカラ側が命名し、日本人でも外国人でも通用する名前をということで「リカちゃん」となりました。
現在でも日本の着せ替え人形の代表として人気のある人形です。

 

リカちゃん人形は発売されてから現在まで、何度かモデルチェンジを行い、限定品も発売されてきました。
1967年に発売されたリカちゃんは爆発的人気となり、1972年に2代目、1982年には髪の色が明るい茶色や金髪も誕生の3代目とリニューアルされながら発売され、1987年に身長も高く、スタイルの良い4代目が発売されました。1992年にはピンキーピンクリカちゃんが発売され、5代目と呼ぶこともありますが、あまり売れず1年で販売終了したため、現在のバージョンは人気のある4代目が発売され続けています。
コレクターの間では初期の頃に作られたリカちゃん人形の人気は高く、保存状態にもよりますが、初代リカちゃん人形は、発売時から約1年間は腰部にジョイントが無く、お腹におへそのあるボディであったため稀少価値が高く、高値がつけられています。
また、マクドナルド・ミスタードーナツ・サンリオなど子供が好む飲食店やキャラクターとタイアップしたリカちゃんも販売されており、こちらの人形も高値が期待できるリカちゃん人形となっております。

 

リカちゃん人形の洋服や小物類については、初出荷の時に付属品としてついていたアイテムなどはそれだけでも十分価値があります。

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