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ハリー・ウィンストン(HARRY WINSTON)の成り立ちと代表作

ハリー・ウィンストン

1932年、ニューヨークでの創業。 ハリー・ウィンストンは最高級ジュエリーの製作と高級複雑時計の製造に力を注いできました。 「キング・オブ・ダイヤモンド」「スターたちのジュエラー」として知られ、宝石そのものに合わせてジュエリーのデザインが決まる という信念に基づき、革新的なジュエリーデザインを考案しています。

時計の歴史

1989年時計製造の世界に参入、「タイムピース・コレクション」を発表。

 

ハリー・ウィンストンタイムピース・コレクション㉗

「タイムピース・コレクション」

 

2001年、著名な独立時計師とのパートナーシップにより革新的な時計の「オーパス」シリーズの展開を開始し、2004年にはジルコニウム合金のザリウムを世界で初めて使用した時計を発表しました。 2007年には世界の時計製造の中心地であるスイスのジュネーブにハリー・ウィンストン時計工場をオープン。2009年、「イストワール・ドゥ・トゥールビヨン」を発表。

 

ハリー・ウィンストンイストワール・ドゥ・トゥールビヨン㉗

「イストワール・ドゥ・トゥールビヨン」

 

新時代のトゥールビヨン像を描き、複雑機械式時計の中でも傑作と称されています。

ハリウッドの女優たちや王侯貴族を輝かせるに至るまで、80年間にわたり、ハリー・ウィンストンは最高峰の証であり、最高級ジュエリーの製作と複雑時計製造の伝統を大切に守りながら、ニューヨーク、ロンドン、パリ、ジュネーブ、東京、香港、上海、といった世界各国にビジネスを展開しています。

オフィチーネ パネライ(OFFICINE PANERAI)の成り立ちと代表作

パネライとは

1860年、オフィチーネ パネライが時計工房を開設。 ジョバンニ・パネライがフィレンツェのアッレ・グラツィエ橋付近に時計店を構え、時計店と時計工房を兼ねているだけでなく、フィレンツェ初の時計学校でもあります。

時計の歴史

1916年、イタリア海軍に高度な精密機器を納入の際、計器や装置の文字盤を発光させるためのラジウムベースの粉末、ラジオミールを開発。「ラジオミール」という名称は、1916年にフランスで出願された特許の補足文書に記載されています。この塗料はその高い視認性と水中における優れた接着性によって、オフィチーネ パネライ製品の重要な要素となっています。 このラジオミールに関する特許は、パネライの長きにわたる技術革新の歴史を彩る多くの特許の最初の一石となります。

1936年、第二次世界大戦勃発を目前にして、イタリア海軍の第1潜水隊特殊部隊工作員のために、現在の「ラジオミール」の初の試作品を製作。 この試作品には、大型のスティール製クッション型ケース(47mm)、夜光数字とマーカー、ケースに溶接されたワイヤーループ式アタッチメント、機械式手巻きムーブメント、潜水服の上から着用できる長い防水ストラップといった特徴があります。

1938年「ラジオミール」モデルの製作が始まりました。

 

パネライルラジオミール⑭

「ラジオミール」

 

試作品の機能を実際に組み入れるため、若干の変更を加えて新しい「ラジオミール」モデルの製作を開始。プレートが重なり合った二重構造の文字盤を採用し、ラジウムベースの夜光塗料の視認性を高め、上側のプレートではマーカーと数字をカットアウト。また耐久性をさらに向上させ、文字盤の数字に関して水中での視認性を高めるための改善をおこない、4つの大きなアラビア数字とマーカー、時針と分針のみを備えました。1940年にはさらに海軍の要求は強くなり、アタッチメントを強化し、水中で優れた耐性を発揮できるようケースとアタッチメントを同じスティールの塊から製作することとなり「ラジオミール 1940」スペシャルエディションは、これらの特徴からインスピレーションを得ています。

1949年ラジウムベースの塗料に代わって「ルミノール」が登場。

 

パネライルミノール⑭

「ルミノール」

 

これはトリチウム(水素アイソトープ)を原料にした化合物で、1949年1月11日に「ルミノール」という商標で特許が出願されました。 「ラジオミール」ウォッチに続いて歴史に残るもう一つのモデル。

1956年、エジプト海軍のために「エジツィアーノ」と呼ばれるラジオミールを開発。特別なサイズ(ケース直径60mm)と頑丈さが特徴、防水性と潜水経過時間を表示するための目盛付きベゼルを備えています。 イタリア海軍に提出した納品文書にも記されていたブリッジ型リュウズプロテクターに関する特許がこの年に出願され、この機構は「ルミノール」およびブランドの特徴となっています。

2005年、パネライ初の完全自社製ムーブメントを発表。1940年代のアンジェリュス製ムーブメントの特徴である8日間パワーリザーブとGMT機能を持つパネライ初の自社製手巻きムーブメントを発表。

2007年、自社で設計、開発が行われた、新型キャリバーを発表。 パネライ独自の洗練されたトゥールビヨン機構を搭載。トゥールビヨンという複雑機構を自社の伝統にすると同時にこれを一新しました。

2008年、自社で開発が行われた完全自社製ムーブメントを発表。72時間パワーリザーブを主な特徴としています。

2011年、ブロンズ時計の発表。経年変化の証が魅力的な素材です。パネライの歴史と深い結び付きのある海の世界を想起させるブロンズを採用したモデル。

パネライは、GMTからあらゆるクロノグラフ、そして長時間パワーリザーブからパネライならではのトゥールビヨンに至るまで、最高レベルの複雑機構を備えた多彩な自社製ムーブメントを開発しています。

パテック フィリップ(PATEK PHILIPPE)の成り立ちと代表作

パテック フィリップ誕生の歴史

1839年に設立された高級時計会社。 ジュネーブ屈指の老舗にして、名実ともに世界最高のスイス高級時計メーカー。 ポーランドからの亡命貴族アントワーヌ・ド・パテックと時計師フランソワ・チャペックによって設立された時計会社。1851年にチャペックに代わってフランス人時計師ジャン-アドリアン・フィリップがパートナーになり、二人の姓を組み合わせた「パテック フィリップ」が誕生しました。ジャン-アドリアン・フィリップは、現在の腕時計に使われている、ゼンマイの巻き上げと針合わせをリューズで行う機構の発明者。気品を重んじた優美なデザインの懐中時計は、ヴィクトリア女王をはじめとする西欧の王侯貴族やチャイコフスキーやワグナー、トルストイ、キューリー夫人、アインシュタインといった一流の芸術家や科学者たちに愛用されました。

時計の歴史

1844年、数々の試行錯誤の末、リューズ巻き方式を薄型ポケット・ウォッチに搭載し、パリ万博に出品、これが見事に入賞しました。 この時計の機構特許を莫大な費用で買い上げ、自分の会社の工場に招聘したいという誘いを受けました。誘ったのはアントワーヌ・ド・パテック。パテックとフィリップの運命的な出会いです。

1848年にはゼンマイで稼動する秒針付き時計を開発。1851年には、ロンドンで開催された第一回万国博覧会に出品、金メダルを獲得し、パテック・チャペック社から「パテック・フィリップ社」へ社名を変更。

1920年代に腕時計中心に生産ラインを切り替えられ、1930年代に「96タイプ」と呼ばれるモデルを発表しました。「文字盤をカンバスにみたてる」という表現がよく使われ、多様な文字盤、インデックスと針のバランスが美しく描かれています。

パテック フィリップの現在

古典的な手法を今なお、頑なに守り続けています。手作業に近い方法でバテックの時計は生み出され、「外側と同じように内部も美しい時計を作るには、いささかの妥協も許さない時計作りが要求される」この言葉はパテック・フィリップの現会長であるフィリップ・スターンの言葉です。

 

パテックフィリップグランドコンプリケーション⑬ パテックフィリップノーチラス⑬

左「グランドコンプリケーション」 右「ノーチラス」

タグホイヤー(TAG Heuer)の成り立ちと代表作

タグホイヤーとは

1860年、スイス、ジュラ山脈のサンティミエにエドワード・ホイヤーが工房を創設して以来、タグ・ホイヤーは150年以上にわたりクロノグラフのスペシャリスト。

1887年に今日でも主要時計メーカーの機械式クロノグラフに採用されているカップリング機構の「振動ピニオン」を発明して特許を取得したことも、タグ・ホイヤーの重要な業績に数えられています。

1911年に車載用ダッシュボード・クロノグラフの開発が始まり、現代のF1レースにおけるパートナーシップに至る、カーレースにちなむ数々の傑作腕時計を誕生させました。

時計の歴史

1916年には100分の1秒単位で計測できる世界初の機械式ストップウォッチ「マイクログラフ」を発表。その技術が絶賛されたタグ・ホイヤーは、1920年のアントワープオリンピックから3大会連続して、オリンピック競技の公式サプライヤーを務めました。

1950年代の伝説のカーレース「ラ・カレラ・パンアメリカーナ・メキシコ」に作られた「カレラ」。

 

タグホイヤーカレラ⑫

「カレラ」

 

このクロノグラフは、1964年に発表され、現在に続く礎になっています。「カレラ」の特徴は、伝統の優れたクロノグラフ機構、洗練されたモダンデザインにありました。

1965年には精度を1000分の1秒にまで更新することに成功しました。

1985年クオーツショックにより、資金難だったところをTAGグループからの資金援助を受け、タグ・ホイヤー社が発足。

20世紀初頭に社を引き継いだ2代目シャルル-オーギュスト・ホイヤーも専門技術を生かした時計製造に情熱を注ぎ、栄誉を手に入れました。オリンピックの計器にハイテク電子機器が駆使され、公式記録が100分の1秒単位で残されるようになったのは、1972年のミュンヘン大会以降ですが、「マイクログラフ」は、はるか以前に機械的な機構のみでミクロの時間を正確に描き出していました。

 

タグホイヤーフォーミュラー1⑫

「フォーミュラー1」

ゼニス(ZENITH)の成り立ちと代表作

ゼニスとは

1865年スイスのル・ロックルに創業。機械化による近代的な製造システムを導入、手頃価格の高品質時計を量産しています。

時計の歴史

1900年に新型ムーブメント発表。この時に付けられた名称が「ゼニス」です。1960年代後半に各社が取り組んだ自動巻きクロノグラフの腕時計をいち早く完成させ、1969年に誕生した世界初の専用設計による自動巻きクロノグラフ・ムーブメントが「エル・プリメロ」です。

 

ゼニス エル・プリメロ⑪

「エル・プリメロ」

 

このムーブメントは、自動巻き設計のみならず、テンプ振動数が毎時3万6000回というハイビートを採用し、その結果10分の1秒が計測可能なクロノグラフ機能を実現する革新的な特徴を備えていました。

1970年代のクォーツショックでゼニスはクォーツの時代を受け入れることになり、ゼニスも一度は「エル・プリメロ」を捨てることになりました。しかし、トップダウンの指示を受け入れられなかった技術陣は、全ての精密工具と設計図などを処分せず隠していました。この機転がなければ「エル・プリメロ」は1975年に終わっていたかもしれません。

1980年代再び機械式時計が評価されるようになり、保存しておいた機器により復活した「エル・プリメロ」は他の時計製造者などからも注文が殺到するようになりました。これでゼニスの完全復活となり、 現在に至ります。

 

ゼニス パイロット⑪

「パイロット」

セイコー(SEIKO)の成り立ちと代表作

セイコー誕生の歴史

1881年、「服部時計店」を創業。創業当初は中古時計の修理と販売から事業を開始し、1892年に時計製造工場「精工舎」が設立されました。 当初は人力による原始的な工作機械により製造を行なっていました。工場設立から約2ヶ月後には、掛時計1ダースの製造に成功しました。1894年に日清戦争による好景気に後押しされ、生産能力が著しく向上し、業績を伸ばしました。

時計の歴史

懐中時計の開発に着手。1895年、初の懐中時計「タイムキーパー」が完成しました。

1913年、まだ懐中時計が主流だった時代、やがて来るであろう腕時計の時代に備え、腕時計の試作・研究を続けました。そして、国産初となる腕時計「ローレル」が完成しました。当時の技術では小さい腕時計の製造は困難を極め、懐中時計の生産が1日200個程度に対し、「ローレル」は1日30個程度の生産が限度だったといわれています。

1929年、国産時計として高い性能が認められ、鉄道時計に指定された懐中時計「セイコーシャ」を製造。また、電話交換手が通話時間を計るために使用した交換時計としても採用されました。1937年、精工舎は腕時計の生産増強を図るため、腕時計部門を切り離し、新会社「第二精工舎(亀戸)」を設立する。しかし、日中戦争、1939年の第二次世界大戦、1941年の太平洋戦争と戦局は急を告げ、精工舎・第二精工舎ともに本格的に兵器類の生産に移行せざるを得ず、民間用時計の生産は年を追って減少。終戦の年の1945年にはほぼ生産中止状態でした。 戦後、日本政府は「民需品の生産力の回復」を最優先課題とし、「輸出立国」を基本とした行政施策をとりました。軽工業の時計産業は優先的な位置づけとなり、官・学共同の品質向上の支援が続けられました。 また、1948年から通産省が実施した国産時計品質比較審査会をきっかけに国産時計の品質が一段と向上することになりました。

1956年、紳士用機械式時計「マーベル」を商品化。セイコーが初めて独自設計した製品で、腕時計の原理原則(狂わない、壊れない、美しい)に立ち返り、新しい設計方針と生産技術設備の導入により開発されました。1959年、「マーベル」をベースにさらに高精度を追及した「クラウン」を開発。 1960年、クラウンをベースにさらなる高精度化のために、部品精度・組立技術・調整技術のすべてを注ぎ込んで誕生したのが「初代グランドセイコー」です。 当時の世界最高の精度基準(国際クロノメータ検査基準(B.O)優秀級規格)より、厳しいグランドセイコー規格を作り、名実ともに世界最高峰の腕時計としての地位を現在でも確立しています。

 

セイコーグランドセイコー⑩

「グランドセイコー」

 

1963年、「セイコースポーツマチックファイブ」を商品化。マジックレバーと呼ばれる独自の自動巻機構、防水構造、すっきり見やすい日曜一体窓、切れないゼンマイや耐衝撃構造の搭載等、当時としては革新的な技術・要素を盛り込むみ大ヒットとなりました。 また翌1964年、東京オリンピックの公式計時を担当したことにより、世界的にセイコーの認知度が高まり、ファイブは海外でも大きく売り上げを伸ばすことになりました。 1969年に世界初のクオーツ腕時計「セイコークオーツアストロン35SQ」を発売。価格が45万円と当時の大衆車と同等の価格でした。 後にセイコー方式に収斂し世界標準方式となり、セイコーの技術の卓越性と先見性が証明されることになりました。

 

セイコーアストロン⑩

「アストロン」

 

1973年、世界初のデジタルクオーツを発売。セイコーが現在の主流となっているFE方式液晶を搭載しました。1975年には世界初の多機能(クロノグラフ付き)デジタルクオーツ0634を発売。1977年にはソーラー発電時計を発売。アラームクロノグラフ付きデジタルクオーツA159を商品化し多機能化が促進しました。

1988年、腕の動きで発電する世界初で唯一の自動巻発電クオーツ「キネティック」を商品化。以降改良が加えられ、現在では、腕から外すと自動的に節電モードに入り、動きが加わると、あたかも眠りから覚めたように針が動き出し、正確な時刻を表示する「オートリレー」機能を搭載するなど、着実に進化を遂げています。

1990年代に入り、標準電波(時刻信号)を受信して、電波の時間標準源である原子時計の時刻に合わせる電波修正時計が開発。日本の標準電波の送信局は、福島県大鷹鳥谷山(送信周波数40kHz)と福岡・佐賀県の県境に位置する羽金山(送信周波数60kHz)の2か所でほぼ日本全国をカバーしています。

ジラール・ペルゴ(GIRARD PERREGAUX)の成り立ちと代表作

ジラール・ペルゴの歴史

1791年ジュネーブに設立。1856年に時計師コンスタン・ジラールと妻マリー・ペルゴの姓を組み合わせて「ジラール・ペルゴ」が誕生しました。

1867年スリー・ゴールド・ブリッジ付きトゥールビヨンをパリ万博(第2回)で発表、金賞を獲得。

1880年代にドイツ海軍のためにガラス面を格子で覆った腕時計を2000本製造。1910年代には腕時計の分野にも本格的に進出し、1930年にはその売り上げが懐中時計を凌ぎ、1945年オリジナル角形腕時計を発表しました。

1965年初の3万6000振動のハイビート機械式ムーブメントを開発。1970年にはクォーツ・ムーブメントの製品化にも成功しました。1971年にジラール・ペルゴが定めたクォーツ周波数が標準規格になり、現在でも世界中で採用されています。

現在のジラール・ペルゴは、ムーブメントを自社で設計製造するスイスでも数少ないマニュファクチュール(自社一貫生産メーカー)の一つだが、その伝統は、19世紀の懐中時計から戦後の腕時計を経て脈々と受け継がれています。

 

ジラール ペルゴ ヴィンテージ⑨ ジラール ペルゴスリーゴールドブリッジ⑨

左「ヴィンテージ」 右「スリーゴールドブリッジ」

シャネル(CHANEL)の成り立ちと代表作

時計の歴史

1987年、高級オートクチュールで知られるシャネルが初めて時計「プルミエール」ラインを販売。ヴァンドーム広場とNo5のボトルストッパーからヒントを得てデザインされています。

 

シャネルプルミエール㉖

「プルミエール」

 

2000年には初めてのスポーツ・ウォッチ「J12 ブラック」が発表。素材にはハイテクセラミックを使用した、ユニセックスの時計です。 翌年、2001年にはダイヤモンドで装飾した「マドモアゼル シャネルJ12」が発表、2003年にはホワイトのハイテクセラミックを使用した「ホワイトセラミックJ12」が発表され、それまで時計にはなかった強い白色を使った初めての腕時計が誕生しました。

 

シャネルJ12㉖

「J12」

 

2004年、「J12の限定コレクション」バゲットカットの最高の石で飾った数量限定の製品を発表。2005年には「J12 トゥールビヨン(12個の限定版)」を発表、手巻きの機械式トゥールビヨン・ムーブメントを製品に搭載することで、高級複雑時計業界の仲間入りをしました。このムーブメントの地板は初めてセラミックで製造されています。

2007年、「プルミエール」の誕生20周年を記念し、小さく貴重な真珠で飾ったパール・バージョンを発表。2008年にはハイテクセラミック、ホワイトゴールド、ステンレススティールのブレスレットを付けた「プルミエール」の新しいコレクションを発表。また、「J12」にはシャネル専用キャリバーをオーデマピゲと共同開発をした自動巻きムーブメントが搭載されました。

2011年、「J12クロマティック」発表によって、シャネルは時計界に新しい色彩をもたらした。チタンとセラミックから作られ、傷つきにくい特性に優れた全く新しい素材。その色彩と光沢はセラミックにチタンを添加する事で得られ、ダイヤモンドパウダーを使って研磨されています。 2012年、「プルミエール フライング・トゥールビヨン」発表、見る者の目を魅了する最もミステリアスな複雑機構で、このモデルの開発は、シャネルとルノー・エ・パピ社(APRP SA)技術陣との密接なコラボレーションによって行なわれています。

2013年、新しい「プルミエール・コレクション」が発表。このシャネルを代表するモデルは1987年に誕生し、それをさらに細長いプロポーションにアレンジしています。現代的な雰囲気を醸し出すチェーンブレスレットは簡単に長さ調整ができ、腕にぴったりとフィットします。シャネルの真骨頂と言えるモデルででしょう。

ジャガールクルト(JAEGER LECOULTRE)の成り立ちと代表作

ジャガールクルトとは

1833年時計造りに必要な工作機械の設計を主に手がけるエンジニアであったアントワーヌ・ルクルトがスイスのル・サンティエで創業。

時計の歴史

1844年時計史に名を刻む発明を発表。1/1000mmという当時では思いもよらなかった精度まで測定が可能なマイクロメーターの開発。この発明により、時計の精度調整は飛躍的な伸びを見せました。

1903年厚さ1.38mmの薄型ムーブメントを搭載した、世界一薄型の懐中時計を開発し、1915年には、パリに最初の販売会社を設立。世界的精密機器メーカー及びムーブメント供給メーカーとしての地位を不動のものとしました。 1930年には動力源に空気を用いた画期的な置時計「アトモス」を発表。この時計は1927年にスイスのジャーン・レオン・ロイターというエンジニアによって発明されたもので、それを初めて商品化したのがジャガールクルトでした。

1945年自動巻きムーブメントにアラーム機能を搭載した「メモボックス」を発表。

 

ジャガールクルトメモボックス⑧

「メモボックス」

 

1950年代に入ると、自動巻きの巻き上げ残量を表示し、リュウズを裏蓋に配した「フューチャーマチック」という、未来的で大胆なデザインのモデルを発表しました。

人々が腕時計があったらどんなに便利だろうかと思いを馳せるような機能を、斬新なアイデアと卓越した技術力で現実化する「ジャガールクルト」。エリザベス2世が持っていた、世界最小のムーブメントを搭載した宝飾時計も同社の製品であったなど、輝かしいエピソードにも事欠きません。

 

ジャガールクルトレベルソ⑧

「レベルソ」

コルム(CORUM)の成り立ちと代表作

コルムの歴史

1924年スイスに設立。

1956年世界初の文字盤にインデックスのない腕時計「ノーマーカー・ダイヤル」を発表。1960年「アドミラルズカップ カレ」を発表、世界4大ヨットレースにちなんで作られました。

 

コルム アドミラルズカップ㉕

「アドミラルズカップ」

 

1965年には本物のアメリカ金貨を2つに割って、その中にムーブメントをはさみ込んだ「コイン・ウオッチ」を発表。

 

コルム コインウォッチ㉕

「コインウォッチ」

 

1976年「ロールスロイス」発表、ブランドのアヴァンギャルドな側面が改めて強調され、高級車メーカーと時計ブランドとの初のパートナーシップとなりました。 1980年「ゴールデンブリッジ」発表、手作業で精巧にエングレーブされたバゲット型ムーブメントを搭載する。1997年「タボガンウォッチ」発表、新しい発明で、特許を取得。それは、時計ケースを直立させ、腕時計から置時計に変換できるという独創的なメカニズムでした。

高級時計メーカーでありながら、魅力的な製品を作り出すコルム社は、常に新しい物づくりへの挑戦を続け、ユニークで独創的なデザインを次々に生み出し、他ブランドでは真似のできない製品を数多く発表しています。そして手作りの高級宝飾時計ブランドとして追求した優れた性能とユニークなデザインが受け入れられ、コルムはわずかな年数の間に世界のトップブランドの一つとして認知されるようになりました。

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