1946年マルセル・ブサック(綿のファブリック王)の後援をもとに、ディオールは自身のクチュールメゾンをパリのアヴェニュー・モンテーニュ30番地に立ち上げます。翌年1947年に最初のコレクションを発表しました。このコレクションにはコロール「花冠」を意味する名前が付けられていました。しかし「ハーパース・バザー」誌の編集長であったカーメル・スノウがこのコレクションを評価したことが切っ掛けとなり、「ニュールック」というフレーズで知られています。これはアラビア数字の「8」に似た細く絞ったウェスト、ゆったりしたフレアスカートが特徴で、戦時中の資材不足により服に使える布の面積に厳しい制限を抱えていたが、贅沢に布を使用した点にも特徴を持っていました。このディオールのニュールックは、第二次世界大戦中に主流であったボックス型よりも、女性的であると評価されました。初期においてはディオールの膝下まで覆う形のデザインに抗議する女性たちもいて、戦時中、服飾用の布地が不足していたことにより、そのようなデザインは見られなくなっていたためです。これらの抗議運動は写真として残っており、プラカードを持って抗議する女性や、中にはニュールックを身に着けた女性が街中で服を切り裂かれているものまでありました。
女性の服装に革命を起こし、また第二次世界大戦後のパリを再度、ファッションの中心地としてディオールは復興させました。 1947年から1957年までの11年間、戦後のファッションの指針を示したディオールはパリのオートクチュール界の頂点に君臨していました。クリスチャン・ディオール死去後、現在はLVHMの傘下に入り、服飾を中心として革製品、宝飾品、時計、コスメ、香水と、その展開分野は幅広くなっています。