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麻田鷹司(あさだたかし)は1928年8月に京都府京都市で生まれました。なお父は日本画家で『群棲』や『潮騒』などが知られている麻田弁自、実の弟には油彩画家の麻田浩がいます。子供の頃から父・麻田弁自に絵を習い京都市立美術工芸学校絵画科を卒業。その後、京都市立美術専門学校に進学すると、同校の卒業制作として描いた『残照』で大阪市長賞を獲得しました。在学中には写生技術の腕を磨いていたと言われていますが、この間、1948年には第1回創造美術展に出品した作品『夏山』が入選となるなど、学生時代からその才能を表していきます。卒業後も、1950年の同展にて『ボートを造る』を発表すると奨励賞を獲得すると言ったように、創造美術展の場で活躍を続け、翌年20代前半で新制作協会の会員となりました。
以降も活躍を続け、30代頃には第1回個展を東京の銀座にて開催。近代的な表現でありながらも、写実性のある風景画作品で評判を集めました。また、1966年には武蔵野美術大学講師として就任し、後進の育成にも努めていきます。翌年には法隆寺金堂の再現模写に従事することとなり、46歳の時には創画会設立と同時に会員になりました。
晩年も古典の開催や創画会への出品などを行い、1987年7月、58歳で息を引き取っています。
麻田鷹司は京都画壇の模範的な考えや技術に乗っ取りながらも、しっかりとした画面構成に支えられた清々しい雰囲気の山水画を描いてきた所が特徴的です。
なお専門学校在学時や創造美術会に加わっていた時は若かったのもあり、自身の感性に深く追求し、アプローチも次々と変わっていったと言う指摘もあります。
日本全国はもとより京都の風景をテーマとして、京都の町やその周囲に対して強い興味を持ち、作品にもそれを表していった点も評価されています。
なお1986年には洛中洛外–麻田鷹司展を何必館・京都現代美術館で開催しました。ちなみに麻田鷹司はその洛中洛外を10年間で50点分描く構想も立てていたと言われていますが、残念ながら病気の関係で頓挫しています。ですがこのように積極的に多くの風景画を描いたことで、現代にも繋がる山水画のベースを作り上げたと言った評判もなされています。
他の代表作
1959年の第5回日本国際美術展に発表し、文部省買い上げになった初期代表作として知られている『小太郎落』(東京国立近代美術館が所蔵)
1960年第4回現代日本美術展で神奈川県立近代美術館賞となった『雲烟那智』(京都市美術館が所蔵)などです。
■新制作協会
1936年に誕生した団体です。政府主催の官設美術展の政治的動向に反対を示した小磯良平や佐藤敬、三田康などの9人の芸術家が自由な芸術活動をするため立ち上げました。
長い歴史の中で、1974年に日本画部会員が全員抜けたため、日本画部が無くなっているのですが現在も続いています。
■京都市立美術専門学校
1880年に京都府画学校として立ち上がったのが始まりで、1945年に京都市立美術専門学校と名を改めました。
帝室技芸員ともなった幸野楳嶺が立ち上げ、新しい日本画を作り上げるベースとして機能し、現在は京都市立芸術大学と名を変えています。
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