鳥海青児(ちょうかいせいじ)
鳥海青児(本名:正夫)は1902年3月に
神奈川県平塚市で生まれました。
中学の頃から洋画家を志しており
その際に知り合った精密な写実的作品で知られている
岸田劉生に影響を受けていきます。
その後18歳の時に関西大学経済学部に入り、
在籍中の1924年に第2回春陽会展において
『平塚風景』が初入選。
以降、春陽会において受賞を重ね続け
1933年には春陽会の会員となりました。
またその間にパリに渡り
そこでアルジェリア占領100年の
記念行事の一つとして数えられる、
ドラクロワ回顧展を見たことをきっかけに
パリに渡って間もない内にアルジェリアへと移ります。
そこからモロッコやスペインにも訪れ、
1933年に帰国と、濃い海外滞在経験を
3年間の内に体験しました。
なお1924年には中央美術展や春陽会で
活躍を重ねた三岸好太郎。
穏やかな雰囲気の自然描写で知られる
横堀角次郎と共に、
絵画修業の場である麓人社を立ち上げています。
やがて1943年に春陽会を出ると
独立美術協会会員となり、
1956年には芸術選奨文部大臣賞を受賞。
翌年には第4回サンパウロビエンナーレにおいて
『彫刻(黒)をつくる』や『琉球風景』、
『かぼちゃ』など合計10作品を出品。
特に、『かぼちゃ』は
ニューヨーク近代美術館に購入されました。
また同年に後輩の原精一と共に
ヨーロッパ地方へ再び渡り、
世界各地を周遊しています。
1959年に第10回毎日美術賞を受賞し、
1972年6月、70歳で息を引き取りました。
作風と取り入れた手法
鳥海青児はシンプルな構図ながらも、
骨太な雰囲気と気品を兼ね備えた作風として
知られています。
その作風を経るまでには以下の経験があります。
■岸田劉生との出会い
岸田劉生と出会ったことで
土着的な作風に注目します。
■最初のヨーロッパ渡米において
フランスの19世紀ロマン主義を象徴する
一人であるウジェーヌ・ドラクロワ。
同じくロマン主義を代表し宮廷画家として
知られているフランシスコ・デ・ゴヤ。
光の明暗をハッキリと分けた描き方が特徴の
レンブラント・ファン・レインと言った、
西洋美術から強く学びました。
■帰国後
帰国後はヨーロッパで学んだ経験を元に
作品を描こうとしますが、
日本の風景をそれで描く難しさから
マチエールに着目することを決意します。
マチエールとは絵画の質感の事ですが
鳥海青児の場合は砂や石を入れることで
光沢性が無くなり、
日本の独特の風土感を出すことに成功します。
なお風景画のみならずマチエールの手法で
静物や人物、建造物なども描いていきます。
黒い絵について
他にも鳥海青児は『信州の畠』や
『ノートルダム・ド・パリ』、『水田』などの
黒い絵と言う通称のある作品群を描いています。
モノクロで描かれたこの作品群の中でも
特に『ノートルダム・ド・パリ』は
画面がただ真っ黒に塗っただけのように見えて
よく見てみると画が浮かんでくると言う
ミステリアスな作品となっています。
芸術に対して興味の尽きない鳥海青児
鳥海青児は日本の古美術を集める
目利き能力の高いコレクターとしても知られています。
岸田劉生との出会いから始まりヨーロッパ渡米と
熱心に作風として取り入れてきたのみならず、
コレクターとしても積極的であるのは
画家としては珍しい方だと思います。
恐らく古美術を集める経験もあって
鳥海青児には絵画に対する
果てしないビジョンがあったと考えられます。
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