鬼頭鍋三郎(きとうなべさぶろう)
鬼頭鍋三郎は1899年6月に
愛知県名古屋市で生まれました。
名古屋市立名古屋商業学校への在学中に油絵を描き
また卒業後は明治銀行で働いていたのですが
1921年に画家になる決心をし、退職後、上京。
上京先では伝手で外光派的風景画と女性画が有名な
岡田三郎助と知り合い、弟子入りを果たします。
また岡田三郎助の弟子でもある、
辻永からも学んでいきました。
その後1922年には中野安二郎や松下春雄、
加藤喜一郎達と共に美術研究団体である
サンサシオンを立ち上げます。
そして翌年には第10回光風会展で初入選、
続けて第5回帝国美術院展覧会でも
『騎兵調錬図』によって初入選となりました。
また1944年には従軍画家として
戦争記録画の制作に携わり、陸軍美術展において
『小休止』が陸軍大臣賞を受賞。
1951年には『バレリーナ』シリーズを発表し
自身の代表作シリーズとして注目を集めます。
1954年にはヨーロッパへ留学し、やがて1982年6月
83歳の時に息を引き取りました。
優雅な女性像で有名
鬼頭鍋三郎は戦前、特に風景画の作品を
多く発表していきましたが、
戦後は人物画での活躍が目立つようになります。
その際の代表的作品としては、前述の通り
『バレリーナ』シリーズが代表的です。
なお『バレリーナ』シリーズは、
1949年から1951年までに発表された
作品群を指します。
またもう一つ代表的シリーズと言えるのが
『舞妓』シリーズで、活動終盤になると
特に多く発表しています。
これは今までの画家活動としての
集大成とも称されているものです。
『舞妓』シリーズは日本画とは違う存在感があり
着ているものや動作もありありと表現されている
と言われています。
こう言った日本のものを題材にした作品群の制作は
1954年にヨーロッパに渡った事が転機
と言われており、
日本の良さを改めて感じた所から来ているようです。
鬼頭鍋三郎の描く女性像は総じて
優雅で整然な印象を持ちます。
ただ綺麗とは違う世界観
当時のバレリーナの稽古は、今とは違って
お金が沢山ある家庭でしか習えなかった
と言われています。
鬼頭鍋三郎は戦争記録画を描いていた時
現地の悲惨な光景を目にし、その反動で
綺麗な雰囲気の女性像を描きたくなったのでは
と指摘している方もいます。
バレリーナシリーズには少女の悲しみも感じられる
と言われていますし、舞妓シリーズでも
必ずしも明るいとは言い難い
複雑な内面を心の内に隠している印象を受けられます。
綺麗なものをただ綺麗に描くと言うのは、
それに対して憧れを持っている場合
ありがちな表現だと感じますが
鬼頭鍋三郎の場合は綺麗なものをただ綺麗に描く、
という表現とはまた異なります。
鬼頭鍋三郎自身は裕福な地主の出身だ
という背景も踏まえると、
みんなが憧れる世界の中に
元々いた人の視点だからこそ見える、
悲しみや複雑な内面を
描いていたのかもしれません。
片づけ始める前にご相談ください
眠っている品物に思わぬ価値がある場合があります。
遺品整理業者・リサイクル業者は、骨董美術品類に高額をつけることはできません。
さらに処分費もかかります。無料査定・買取で賢い遺品整理・蔵整理をお勧めいたします。
買取専門店KURAYAは,骨董品,金・プラチナ、ブランド品、ブランド時計、ダイヤモンド、切手、古銭、勲章、日本刀・鎧兜、掛け軸・絵画、版画、おもちゃ・ノベルティ、 高級食器、珊瑚、翡翠・鼈甲・琥珀、カメラ、鉄道模型,、着物・小物、鉄瓶・茶道具 ,墨・書道具など確かな目で高額買取いたします。
買取専門店くらやは、新しいもの・古いもの、どんなお品も対象に鑑定する買取専門店としてオープンいたしました。貴金属・ブランド品買取をはじめとし、 古物・切手の買取・骨董品の買取に力をいれております。 ご自宅に眠っている貴金属・ブランド品・骨董品などはございませんか?古物・貴金属・ブランド品などを整理したい方、 現金が必要な方、お引越しで荷物を整理したい方、遺品整理、古い蔵を取り壊して中身を処分したい方など、様々なお客様からご利用いただいております。
新しい物・古い物、どんなお品も対象に査定する