竹工芸家の飯塚琅玕斎は
1890年に栃木県で生まれました。
生家は代々竹芸を営んでおり
幼少の頃より父の凰翁から竹芸を学びました。
当初、10代の頃には画家を目指していましたが
竹工芸で高い芸術性と格調のある制作を志し
書、漢学、俳句、和歌などの幅広い分野で
日本文化の教養を深めました。
また、13歳の時に上京すると
書道や生花も学んでいます。
やがて自身が30代半ばの頃の
パリ万国博覧会では銅賞を受賞。
続けて1932年第13回帝展では竹製筥、
第15回帝展に出品した
『竹風爐先屏風(たけふろさきびょうぶ)』が
特選を受賞すると、1933年に開催された
シカゴ万国博覧会にも作品を出品しました。
また、大正天皇の即位式用品、昭和天皇の
大礼献上品などの制作も行っています。
飯塚琅玕斎の作品は、唐物様式からの脱却を目指し
伝統的な技法と独創的な技法を駆使しながら
近代的な竹工芸の領域を開拓しました。
『織姫』、『あんこう』、『国香』などの作品には
自然事象や事物を上手く取り入れ
趣のある作品に仕上げています。
特に『国香』では、中心部に波立つ曲線を施し
外側に向かって放射状に延びる
直線とのコントラストを美しく際立たせています。
技法的には、刺編、束編、白錆竹を用いた
シブシ(のし竹、平竹)の代表的な技法を用い
考案しました。
また、拭漆(ふきうるし)を施した竹編みから、
施さない晒竹(さらしだけ)素地の竹編みによる手法を
新しく考案しました。
飯塚琅玕斎はその制作活動で
数々の賞を受賞したほか、近代竹工芸界において
「竹細工」として低く評価されていた竹工芸を
芸術の域にまで高めた功績が
高く評価されています。
創意工夫に満ちた竹の造形表現に多大な功績を残し
二代竹雲斎や小玕斎をはじめ、
後の世代に影響を与えました。
そして三代、四代竹雲斎など
現代の制作にまで繋がっています。
また、飯塚琅玕斎は
他の分野の芸術家との交遊関係も広く
陶芸家の板谷波山、漆芸家の松田権六など
多くの文人墨客と交遊を持ち
書絵画、俳句にも優れていました。
日本を訪れた世界的な建築家の
ブルーノ・タウトとも交遊を持っていた
と言われています。