長田雲堂(ながたうんどう)
長田雲堂は1849年1月に福井県の、現在で言う
坂井市となる坂井郡丸岡町で生まれました。その後、
京都で山水画や花鳥画を描いてきた中西耕石や
写実的な作風から文人画の作風に転じた
日根対山の下で学んでいきます。
やがて、長崎に渡り長崎三大南画家と呼ばれ
三浦梧門や木下逸雲に並び蘭図を得意とする
鉄翁祖門からも南画について教わり、20代の頃には
中国にて名画及び旧跡について学びを深めました。
そして1922年に74歳で息を引き取っています。
作品は優れた文人画を残しており、
代表作には『柳桃飛燕図』などがあります。
学んだ人物達について
・中西耕石
福岡で生まれた南画家ですが、大阪へ渡った後
明治維新後は京都に移ります。
また1880年には設立された京都府画学校で務め
福岡県の現在の太宰府市にあたる、
御笠郡太宰府村生まれの吉嗣拝山を育てるなど
福岡南画壇を生み出した人物と呼ばれています。
・日根対山
大阪で生まれ土佐派について学んだ後
京都にて近世第一の能書家と呼ばれる
貫名海屋の下で学び、
書画について教えを受けていました。
活動初期に発表した作品群は「中原書き」
と呼ばれ、愛好家達に好まれています。
・鉄翁祖門
長崎県で生まれ、画家であると同時に
臨済宗の長崎春徳寺の僧でもあります。
鉄翁祖門が学びを受けた人物としては
諸流派のテイストを取り入れ、
長崎を代表する画家の石崎融思。
黄公望的な山水画を得意としており、
以降の日本の南画に多大な影響を及ぼした
中国出身の江稼圃などがおり、
両人から文人画について学んでいます。
教えの背景
・南画とは
中国の南宋画が江戸時代の中盤に広まり、
長崎に渡った中国人などが始まりとされています。
水墨画を元にしており、明治序盤まで
その広まりが続きました。
・文人画とは
所謂画業は行っていない知識人の描いた絵画を指し
深い精神性でなければ描けない
とされているのが特徴です。
水墨などで感性を重視して描いており
南宗画とも呼ばれるようになります
他の福井の画家三堂について
長田雲堂は内海吉堂や山田介堂と並んで、
明治から大正に渡って名を馳せた
福井の画家三堂と呼ばれています。
特に山田介堂に関しては、
長田雲堂と同じ丸岡町出身でよく知られています。
なお内海吉堂は京都画壇を賑わせ、
柔和な筆使いの南画の作風で
目を引く色彩感覚で描き、
花鳥画に優れているのが特徴です。
山田介堂は文展での活躍が目立ち、特に
顔料や金泥を使った山水画である青緑山水は、
色彩感覚が美しいと呼ばれています。
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