野口小蘋は、1847年に漢方医学を行う古医方を営む家の
長女として、大坂で生まれました。
幼少期から詩や書、画の才能を見せ、8歳の頃に
四条派の画家、石垣東山に入門しています。
16歳になると父と北陸に数ヶ月間巡り、
画の修練を行いました。
この旅の途中には父を亡くしましたが、野口小蘋は
その後も絵の研究を続け、20歳のときには京都へ移り
南画の重鎮であった日根対山に
山水画や花鳥画を学んでいます。
この頃、日下部鳴鶴や奥蘭田、巌谷一六、川田甕江、
長三洲らと交友しました。
また、同時期に小林卓斎から経学も学んでいます。
やがて24歳になると上京して画業を本格的に始め
美人画や肖像画などを多く描き始めました。
2年後には、皇后御寝殿に花卉図を
8点描くまでとなっています。
その後1877年、対山の門弟であった野口正章と結婚し
翌年に娘の小蕙が生まれました。
母となった後も野口小蘋は画家としての活動を続け
英照皇太后に作品を献上するなど
皇室や宮家の御用達作品を多く納めています。
1889年には華族女学校画学嘱託教授に就き
1902年に恒久王妃昌子内親王、成久王妃房子内親王の
御用掛を拝命しました。
そして1904年、57歳のときに女性としては初の
帝室技芸員となっています。
また、翌年には正八位に叙されました。
その後も1907年に文展審査委員を務め
創作活動の面では、大正天皇即位の際の
「風俗歌屏風」の制作、
68歳で御大典祝画屏風「悠紀殿屏風」の献上など
70歳で息を引き取る晩年まで活躍しました。
野口小蘋は当初、人物画においては
浮世絵風美人図を描いていましたが、
次第に陰影表現を用いた写実的な女性像を描き、
人物画を極めていきます。
山水画は「鹽渓天狗巌図」に見られる
写生に基づいた真景図、「春秋山水図屏風」では
山塊を強調した青緑山水図屏風など
伝統的な山水図を踏襲せず
近代的視線の作画を描いています。
野口小蘋は明治時代から大正時代に活躍した
代表的な女性画家の一人であり
女性として初の帝室技芸員になった画家です。
前近代から近代の過渡期にその類い稀な画技で
自らの画風を確立し、職業画家として
自立していきました。
若い頃から自身の画力を磨くことに集中し
画壇の人脈を築いています。
まだ女性として自立して
社会で活動することが困難な時代に
男性画家と比肩し評価を獲得していった
近代的な女性画家として評価されています。
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